【ルイス・キャロル著「スナーク狩り」のために】マックス・エルンスト‐東京国立近代美術館所蔵

追われるものの不在
ルイス・キャロルとマックス・エルンスト――ナンセンスから無意識へ

ルイス・キャロルが1876年に発表した詩「スナーク狩り」は、19世紀イギリス文学のなかでも特異な位置を占めている。それは物語詩の形式をとりながらも、明確な教訓や結末を拒み、読者を終わりのない探索へと誘う作品である。不可解な名前をもつ「スナーク」という存在を求めて人々が航海に出るという筋立ては一見冒険譚のようでありながら、そこで描かれるのは達成ではなく、むしろ探求そのものの空転である。スナークの正体は最後まで明かされず、言葉は意味を持つ直前で滑り落ち、物語は読者の理解を巧みにかわし続ける。

キャロルのナンセンスは、単なる戯れや言葉遊びにとどまらない。それは理性によって整序された世界の背後に潜む不確かさを露呈させる装置として機能している。彼の作品群に共通するのは、論理が厳密であればあるほど、その論理自体が奇妙な歪みを帯び始めるという逆説である。「スナーク狩り」においても、登場人物たちは地図や規則、役割分担といった秩序を携えて旅に出るが、それらは探索を導くどころか、かえって不条理を際立たせる。目的が明確であるはずの探求が、次第に意味を失い、ただ言葉と行為だけが空白の上を漂うのである。

この詩が20世紀に入って新たな注目を集めた背景には、シュルレアリスムの台頭がある。現実と夢、意識と無意識の境界を攪乱しようとしたこの芸術運動にとって、「スナーク狩り」の世界はきわめて親和性の高いテクストであった。そこでは対象は常に不在であり、意味は確定されず、探求は終点を持たない。シュルレアリスムが重視したのもまた、完成や解釈ではなく、生成と逸脱の過程そのものだったからである。

そのなかで、マックス・エルンストが1950年に制作した《ルイス・キャロル著「スナーク狩り」のために》は、文学と視覚芸術の邂逅を象徴する作品として特筆される。エルンストは、詩の物語を逐語的に翻案することを避け、むしろその内部に流れる感覚、すなわち不確実性と不安定さを視覚的に定着させようとした。そこに描かれているのは、スナークそのものでも、航海する人物たちでもない。代わりに現れるのは、判別不能な形態、半ば生成し半ば崩壊したようなイメージ群であり、それらは詩が孕む空虚と期待の緊張関係を映し出している。

エルンストの芸術を理解するうえで欠かせないのが、彼が用いたフロッタージュの技法である。偶然に生じる痕跡を出発点とするこの方法は、作家の意図的な構成を後退させ、素材そのものが語り始める場を開く。エルンストはこの偶然性を、無意識への通路として捉えた。そこから浮かび上がる形は、意味を持つ前の状態にあり、観る者の想像力によって初めて像を結ぶ。《スナーク狩りのために》においても、画面は確定したイメージを拒み、常に変化し続ける可能性として存在している。

この絵画に漂う感覚は、キャロルの詩における「追われるものの不在」と深く共鳴している。スナークは捕えられるべき対象でありながら、実際には決して現れない。エルンストの画面でもまた、中心となるべき像は欠落しており、視線は彷徨うほかない。その欠如こそが、作品の核となっているのである。意味が与えられないからこそ、観る者は問い続け、解釈を試み、思考を停止させることができない。

シュルレアリスムはしばしば夢幻的なイメージや奇怪な形態によって語られるが、その本質はむしろ認識の不安定化にある。エルンストは、「スナーク狩り」というテクストを媒介にして、理解しようとする意識そのものを揺さぶった。そこでは文学と絵画は互いを説明し合う関係にはなく、むしろ同じ裂け目を異なる方法で覗き込んでいる。

キャロルの詩が言葉のレベルで開いたナンセンスの空間は、エルンストによって視覚的な無意識の場へと変換された。その変換は翻訳ではなく、変奏であり、応答である。両者に共通しているのは、意味を与えることよりも、意味が生まれる直前の不安定な状態を保持しようとする姿勢だろう。そこでは探求は終わらず、対象はつねに逃れ、作品は完成しない。

《ルイス・キャロル著「スナーク狩り」のために》は、文学への挿絵でもなければ、物語の再現でもない。それは、19世紀のナンセンスが20世紀の無意識と出会った地点に生まれた、一つの思考の結晶である。追い求めるものが存在しないという逆説を抱えたまま、作品は静かに観る者の前に立ち続ける。そしてその沈黙のなかで、私たちは問い続けることそのものが、すでに一つの創造行為であることを知らされるのである。

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