【女(I)】芥川紗織‐東京国立近代美術館所蔵

布に滲む主体のかたち
芥川紗織「女(I)」戦後日本における抽象と女性像

戦後日本の美術が、廃墟の記憶と新しい価値観の狭間で揺れ動いていた1950年代、芥川紗織はきわめて静かな、しかし確固とした歩みで独自の表現領域を切り拓いた作家である。油彩や彫刻が前景化し、西洋由来のモダニズムが急速に浸透していくなかで、彼女は布と染料という、きわめて日本的で身体に近い素材を選び取り、そこに抽象と象徴を重ね合わせる試みを行った。1955年制作の《女(I)》は、その探究が一つの臨界点に達した作品として、今日においても深い思索を促す力を保っている。

芥川紗織の創作を理解するうえで重要なのは、彼女が「絵画」を必ずしもキャンバスと絵具の問題として捉えていなかった点である。布は、日本において長く生活と結びついてきた素材であり、衣服や寝具、儀礼用の裂など、身体や時間の記憶を内包する存在であった。芥川はその布を支持体とし、染料を滲ませ、流し、定着させることで、描くという行為を「浸透」や「変化」のプロセスとして再定義した。《女(I)》においても、染料は輪郭を支配することなく、布の繊維に従いながら広がり、色彩そのものが自律的に振る舞う。

しかし、この作品は偶然性にすべてを委ねた抽象ではない。画面には明確な構成意識が存在し、色と形は相互に緊張関係を保っている。柔らかな曲線によって示唆される形態は、具象を離れながらも、どこか人体、とりわけ女性の身体を想起させる。輪郭は曖昧でありながら、中心性を失うことはなく、画面には静かな重心が保たれている。その均衡は、染料という制御しがたい素材を用いながら、作家の内的秩序が確かに貫かれていることを示している。

《女(I)》という題名は、きわめて示唆的である。「女」という普遍的な語に添えられた括弧付きのローマ数字は、個としての存在と類型としての存在、その両義性を暗示する。ここで描かれる「女」は、特定の人物像ではない。それは、戦後という不確かな時代において、自らの位置を模索する存在の象徴であり、同時に作家自身の内面とも深く結びついた像であると考えられる。

1950年代の日本社会において、女性の役割は大きな転換期を迎えていた。戦時体制の崩壊と民主化の進展は、制度上の変化をもたらした一方で、生活や意識の深層には依然として強固な規範が残されていた。芥川は、そうした外的な主張を直接的なイメージで表現することを避け、むしろ抽象という形式を通して、女性であることの感覚、揺らぎ、内的緊張を画面に定着させた。《女(I)》における柔らかな色彩と、時に鋭く走る線の対比は、その二重性を視覚的に体現している。

色彩は、感情の比喩として機能している。淡く滲む暖色系の色調は、包容力や感受性を思わせる一方で、画面を貫く寒色や濃色のアクセントは、沈思や葛藤、自己の輪郭を探る意志を感じさせる。これらは対立する要素ではなく、相互に補完し合いながら、一つの存在を形づくっている。芥川は、女性性を固定的なイメージとしてではなく、変化し続けるプロセスとして捉えていたのであろう。

また、《女(I)》は、戦後日本美術における「工芸」と「絵画」の境界を静かに揺さぶる作品でもある。布と染料という素材は、しばしば工芸の領域に回収されがちであったが、芥川はそれらを純粋な造形言語として扱い、国際的な抽象美術の文脈と接続した。その姿勢は、伝統の単なる再解釈ではなく、素材が持つ文化的記憶を引き受けたうえでの、きわめて現代的な試みであった。

《女(I)》が現在、東京国立近代美術館に所蔵されていることは象徴的である。この作品は、一作家の個人的表現を超え、戦後日本美術が模索した多様な可能性を体現する存在として位置づけられている。抽象でありながら社会と無縁ではなく、私的でありながら普遍性を帯びる。その静かな強度こそが、本作を時代を超えて持続させている理由である。

芥川紗織は、声高に語ることなく、布に染み込む色のように、ゆっくりとしかし確実に、日本の現代美術の地層に痕跡を残した。《女(I)》は、その痕跡が最も澄んだかたちで結晶した作品であり、見る者に「女」という存在をめぐる問いを、今なお静かに投げかけ続けている。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

プレスリリース

登録されているプレスリリースはございません。

カテゴリー

ページ上部へ戻る