【女(B)】芥川紗織‐東京国立近代美術館所蔵

女(B)
芥川紗織 戦後に立ち上がる女性像の深層

芥川紗織の初期作品群を見渡すとき、《女(B)》はひときわ静かな緊張感を湛えた存在として立ち現れる。それは叫びや激情によって観る者を圧倒するのではなく、むしろ沈黙のうちに、女性という存在の内奥へと視線を導く作品である。一九五五年に制作されたこの作品は、芥川が自らの表現を深化させ、戦後日本における「女」という主題に真正面から向き合った重要な到達点と位置づけられる。

戦後一〇年を経た日本社会は、復興の只中にありながら、価値観の根底に揺らぎを抱えていた。とりわけ女性をめぐる状況は大きく変化しつつあり、家庭、労働、身体、精神のいずれにおいても、新たな自己像が模索されていた時代である。芥川は、この不確かな時代の空気を鋭敏に感じ取り、女性を単なる象徴や理想像としてではなく、複雑で多層的な存在として捉え直そうとした。

《女(B)》という簡潔なタイトルは、その姿勢を端的に示している。「女」という普遍的な概念に、あえて記号的な「B」を付すことで、特定の個人像から距離を取りつつ、同時に匿名性の背後に潜む個別性を示唆している。そこに描かれているのは、誰か一人の女性ではなく、戦後という時代を生きる無数の女性たちの内面が凝縮された存在なのである。

本作において、芥川は染料と布という素材を用いている。この選択は、単なる技法的実験にとどまらない。布は身体に最も近い素材であり、衣服として人間の皮膚と接し、日常と深く結びついてきた。その布に染料を染み込ませるという行為は、女性の内面や感情が、表層を超えてゆっくりと滲み出てくる過程を想起させる。

染料は、絵具のように輪郭を明確に定めることなく、布の繊維に沿って広がり、重なり、時に予測不能な表情を生み出す。その不確定性こそが、《女(B)》に独特の生命感を与えている。色彩は感情の比喩であり、言葉にならない心理の揺らぎを視覚化する装置として機能している。

画面構成はきわめて抽象的である。そこに明確な身体の輪郭や顔貌は見出されない。しかし、曲線的なフォルムや、布のたわみ、色彩の集中と拡散は、女性的な存在を強く想起させる。柔らかく、しかし決して脆弱ではない形態は、内に秘めた力と緊張を孕んでいる。

色彩の選択もまた、象徴性に富んでいる。暖色系の色は、感情の高まりや生命の鼓動を感じさせる一方で、寒色系の沈静した色調は、内省や孤独、思考の深まりを示唆する。それらが同一画面上で共存し、滲み合うことで、女性の内面における相反する感情の併存が浮かび上がる。

《女(B)》が示す女性像は、戦前の理想化された母性像や、戦後に流入した西洋的モダン・ウーマン像とも異なる。それは、自己を問い続ける存在としての女性であり、社会と個人、身体と精神のあいだで揺れ動く主体である。芥川は、女性を語る際にしばしば伴う装飾性や物語性を排し、むしろ沈黙と抽象によって、その存在の核へと迫った。

この作品が持つ重要性は、戦後日本美術における女性表現の文脈においても大きい。芥川は、女性であることをテーマにしながら、それを私的な告白や感傷に回収することなく、同時代的な普遍性へと昇華させた。その姿勢は、後続の女性作家たちにとっても、一つの指標となったといえるだろう。

《女(B)》は、声高に主張する作品ではない。しかし、その静謐な画面の奥には、時代と向き合い、自らの存在を問い続けた一人の作家の確かな意志が息づいている。布に染み込んだ色彩の層は、女性の内面の層であり、戦後社会の深層でもある。その重なりを前にしたとき、観る者は否応なく、自らの内側にも視線を向けることになるのである。

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