【神話より】芥川(間所)紗織‐東京国立近代美術館所蔵

神話より
芥川紗織 象徴の源泉に触れる布の思考

芥川紗織の作品世界において、「神話」という語は単なる題材の呼称ではない。それは彼女の思考が立ち返り、そこから再び立ち上がるための根源的な地点である。一九五六年制作の《神話より》は、そのことを最も端的に示す作品の一つであり、芥川が神話をいかに捉え、いかに現代美術の言語へと変換したかを静かに物語っている。

《神話より》という簡潔な題名は、明確な物語の提示を意図していない。「神話そのもの」ではなく、「神話より」——すなわち神話から立ち上がってくる何ものか、神話を媒介として現れる感覚や象徴の残響にこそ、芥川の関心は向けられている。この距離感は、神話を再現や引用の対象とするのではなく、現代において再び思考されるべき精神的基層として扱う彼女の姿勢を端的に表している。

戦後日本美術の文脈において、芥川紗織は特異な位置を占める作家である。抽象表現が台頭し、西洋由来の前衛的潮流が急速に流入するなかで、彼女は一貫して日本文化の深層に目を向け続けた。しかしそれは、伝統への回帰や郷愁的態度とは異なる。むしろ神話や伝説を、人間存在の普遍的構造を示す象徴体系として捉え、それを現代の視覚言語で再構成する試みであった。

《神話より》において用いられている染料と布という素材は、その試みに不可欠な要素である。布は、固定された支持体ではなく、柔軟で、内部に空気と時間を含み込む素材である。そこに染料が浸透し、滲み、重なり合うことで、形態は決定されながらも、常に揺らぎを孕んだ状態に置かれる。この不確定性は、神話が持つ曖昧さや多義性と深く呼応している。

染料による色彩は、表面を覆うのではなく、布の繊維の奥へと沈み込み、層を成して留まる。その様相は、神話が人間の意識の深層に静かに堆積していく過程を思わせる。色は即物的な意味を持たず、象徴として、感覚として、観る者の内部に作用する。芥川にとって色彩とは、物語を語るための記号ではなく、神話的感覚を呼び覚ます触媒であった。

画面に明確なモチーフや具象的形態は見出されない。にもかかわらず、《神話より》は強い象徴性を放っている。流動的な形態、集中と拡散を繰り返す色の配置は、生成と崩壊、秩序と混沌といった神話的二項対立を暗示する。そこには始まりも終わりもなく、時間は直線的に進行しない。観る者は、物語を読むのではなく、神話的空間に身を置くことを促される。

色彩構成もまた、慎重に選び抜かれている。赤や金を想起させる色調は、生命の萌芽や神聖性、内的エネルギーを喚起する一方、青や緑の沈んだ色域は、深層意識や沈黙、宇宙的広がりを感じさせる。それらが相互に滲み合うことで、神話が本来的に持つ多層的構造が、視覚的に立ち上がってくる。

《神話より》が示す神話性は、特定の文化や物語に限定されない。それは古事記や日本の伝承に根ざしながらも、人間が太古から抱いてきた生成への問い、存在の起源への希求と共振するものである。この普遍性こそが、芥川の神話表現を時代や地域を超えたものにしている。

戦後という断絶の時代にあって、芥川紗織は、神話を過去の遺物としてではなく、現代において再び思考されるべき知として捉えた。《神話より》は、その静かな宣言とも言える作品である。布に染み込んだ色彩の奥には、言葉以前の感覚、物語以前の象徴が息づいており、観る者はそこから、自らの内に潜む神話的想像力を呼び覚まされる。

この作品は、視覚的な迫力によって語るのではない。むしろ沈黙と余白によって、思索の場を開く。《神話より》は、芥川紗織が神話を「語る」のではなく、「感じさせる」ために到達した一つの極点であり、日本戦後美術における精神的深度を静かに示しているのである。

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