【日食】安田靫彦ー東京国立近代美術館所蔵

日食
天象と王権のあわい

 安田靫彦(一八八四―一九七八)は、日本近代日本画のなかでも、とりわけ沈思と緊張を内包した画業を築いた画家である。彼は大和絵の伝統を礎としながらも、常に東アジア古典世界へと視線を向け、中国古代の歴史や文学に見出された倫理的秩序と崩壊の相を、絵画として定着させようとした。1925年に制作された《日食》(東京国立近代美術館所蔵)は、その思索が最も純度の高いかたちで結晶した作品といえる。

 本作を読み解く鍵は、まず「日食」という主題が、単なる自然現象としてではなく、古代的世界観における象徴として扱われている点にある。近代科学において日食は天体運動の結果にすぎないが、古代中国では、天と地、人と政治が連続した体系として理解されていた。天象の異変は、為政者の徳の衰えを示す警告であり、国家秩序の危機を告げる兆しであった。

 安田靫彦が依拠した思想的背景の中心には、『詩経』小雅篇「十月之交」がある。この詩は、日食をはじめとする天変地異が相次ぐなかで、政治の乱れと民衆の困窮が深まっていく様を嘆いた作品である。そこでは、天は沈黙せず、暗転する日輪を通じて、人の世の歪みを可視化する存在として描かれる。詩に漂うのは、自然への畏怖と同時に、為政者への深い失望である。

 この詩的世界は、『史記』において司馬遷が描いた周幽王の歴史像と強く呼応する。幽王は、寵姫褒姒の歓心を買うために烽火を戯れに用い、諸侯の信義を失った王として知られる。その軽率さと倫理の欠如は、やがて王朝の滅亡という帰結を招いた。司馬遷の筆致は、単なる王の失政を超え、権力が自らの規範を失ったときに生じる必然的崩壊を描き出している。

 安田靫彦は、この歴史的・文学的イメージを、劇的な叙事としてではなく、日食という一瞬の天象に凝縮させた。画面に描かれる幽王と褒姒は、栄華の象徴としてではなく、暗く翳る天を前にして身をすくめる存在として現れる。彼らは歴史の主役でありながら、同時に天の前では無力な一個の人間にすぎない。その姿は、王権の威厳よりも、倫理を失った支配者の不安と空虚を静かに語っている。

 本作の印象を決定づけているのは、安田靫彦の線描表現である。彼が深く学んだのは、中国東晋の画家・顧愷之に連なる人物画の系譜であり、とりわけ「高古遊絲描」と呼ばれる細線描法であった。遊絲のごとく細く、しかも緊張を失わない線は、形態を縁取ると同時に、人物の内奥に潜む感情を包み込む。

 《日食》において、線は決して饒舌ではない。衣文の起伏は抑制され、人物の姿態は静かに定着する。しかし、その微細な揺らぎの集積が、恐怖と不安の気配を画面全体に滲ませている。安田は感情を誇張することなく、沈黙のなかに緊張を宿らせることで、かえって深い叙情性を獲得した。

 ここには、中国絵画理論における「気韻生動」の思想が色濃く反映されている。形を似せることよりも、生命の気配、場の緊張をいかに画面に宿らせるか。その問いに対し、安田は線と余白の均衡によって応えた。日食そのものは具体的に描き込まれないが、空を覆う重苦しい沈黙が、見る者に強く感知される。その不可視の圧力こそが、人物たちを恐怖に陥れているのである。

 日食は、本作において政治的象徴として機能する。光を失った太陽は、正統性を失った王権の暗喩であり、世界の秩序が揺らいでいることを示す徴である。幽王が仰ぎ見る天は、もはや守護者ではなく、裁断者として立ち現れている。

 安田靫彦がこの主題を1925年という時代に選び取ったことも注目される。近代日本は急激な社会変動の只中にあり、価値体系の揺らぎが顕在化していた。安田は直接的な時評を避けながら、古代中国の歴史像を媒介として、権力と倫理の問題を普遍的な問いとして提示したのである。

 《日食》は、過去の物語を描いた歴史画であると同時に、時代を超えた寓意画である。天象の異変に怯える幽王の姿は、責任を忘れた権力者の末路を静かに示し、人間が自然と歴史の前でいかに脆弱であるかを思い起こさせる。画面に満ちる静謐は、声高な批判以上に強い余韻を残す。

 安田靫彦は《日食》において、絵画を歴史叙述や装飾から解き放ち、倫理的思索の場へと高めた。細く引かれた線の一本一本は、過去から現在へと連なる問いの痕跡であり、見る者を沈黙の省察へと導く。日食の闇はやがて去るが、その不安と記憶は人の心に残り続ける。この作品は、その記憶を可視化した、近代日本美術における静かな到達点なのである。

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