【白磁麒麟置物】12代酒井田柿右衛門-皇居三の丸尚蔵館収蔵

白磁麒麟置物
純白に結晶する徳と王権のイメージ

 白という色が、これほどまでに強い存在感を放つ造形は稀である。皇居三の丸尚蔵館に所蔵される「白磁麒麟置物」は、昭和3年(1928年)、十二代酒井田柿右衛門によって制作された作品であり、昭和天皇即位の大礼に際して佐賀県から献上された由緒をもつ。そこに立ち現れる麒麟の姿は、力強さと静謐さ、動勢と均衡とを同時に宿し、白磁という素材の極限において、神獣の徳と威厳を凝縮している。

 麒麟は、東アジア世界において古来より聖獣として位置づけられてきた存在である。仁徳ある王の治世にのみ現れるとされ、暴力を嫌い、草木を踏むことすら避けるという伝承は、力と徳とが矛盾なく結びつく理想像を示している。日本においても、麒麟は瑞祥の象徴として、宮廷美術や工芸、儀礼空間の中で繰り返し表象されてきた。本作が皇室献上品として選ばれた背景には、この神獣がもつ象徴的意味の重層性が深く関わっている。

 十二代酒井田柿右衛門は、有田焼・柿右衛門様式の伝統を担う名跡として、近代という時代に白磁の可能性を問い直した陶芸家であった。柿右衛門家は色絵磁器の名で知られる一方、白磁においても極めて高い完成度を誇る。その白は単なる無彩ではなく、土と釉と火の微妙な均衡によってのみ成立する、緊張を孕んだ色調である。ムラを排し、濁りを許さず、それでいて冷たさに傾かない白を得ることは、陶芸における最難関の一つとされる。

 本作の白磁は、まさにその到達点を示している。全体にわたり均質でありながら、決して平板ではない。麒麟の体躯に沿ってわずかに変化する光の反射は、白という色の内側に豊かな階調が潜んでいることを静かに告げる。釉面は過度な光沢を抑え、柔らかな緊張感を保ちつつ、鑑賞者の視線を造形そのものへと導いていく。

 造形面において特に注目されるのは、麒麟の鬣の表現である。風を孕むように流れる鬣は、静止した陶磁の中に、明確な運動の方向性を与えている。線は鋭さを保ちながらも破綻なく連なり、力強い体躯との対比によって、神獣としての超越性が際立つ。ここには、単なる装飾的誇張ではなく、見えない気流や霊的な気配を可視化しようとする造形意志が読み取れる。

 一方で、麒麟の身体は過度に誇張されることなく、重心の低い安定した構えを保っている。前肢と後肢の配置、胴体の量感、首の角度は、全体として均衡を失うことがなく、あくまで「立つ」存在として造形されている。この安定感は、陶という素材の制約を超えた構成力の賜物であり、同時に、徳ある支配の象徴としての麒麟像を視覚的に支えている。

 白磁という素材の選択は、麒麟の象徴性と密接に結びついている。色彩を排した白は、装飾的な意味を一切削ぎ落とし、形そのものの力を際立たせる。そこには、祝意や威光を声高に主張するのではなく、清廉と節度をもって示すという、日本的な美意識が反映されている。白磁の純度は、麒麟の徳性を視覚的に翻訳するための、最も厳格な器であったと言えるだろう。

 本作が制作された昭和3年は、近代国家としての日本が、新たな象徴秩序を模索していた時代である。昭和天皇即位の大礼は、その転換点を画する国家的儀礼であり、そこに献上された美術工芸品は、単なる祝賀の品ではなく、国家の理想像を託された象徴装置でもあった。佐賀県から献上された「白磁麒麟置物」は、地域の陶芸文化の粋であると同時に、徳治と秩序への希求を体現する存在であった。

 今日、この作品を前にするとき、私たちはそこに過剰な物語を必要としない。純白の中に凝縮された造形の緊張と均衡が、静かに語りかけてくるからである。「白磁麒麟置物」は、十二代酒井田柿右衛門の技と精神が結晶した作品であると同時に、昭和という時代が求めた象徴のかたちを、最も純度の高いかたちで示した工芸作品なのである。

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