【リズム螺旋】ロベール・ドローネー‐東京国立近代美術館所蔵

ロベール・ドローネー
色彩が運動へと変わるとき――《リズム螺旋》の視覚詩学

 二十世紀初頭の美術が直面した最も根源的な問いのひとつは、「絵画はいかにして静止を超えることができるのか」という問題であった。運動、時間、リズムといった本来は絵画の外部に属する概念を、平面上にいかにして出現させるか。この問いに対し、ロベール・ドローネーは色彩という手段をもって応答した。《リズム螺旋》は、その試みがもっとも純度の高いかたちで結実した作品であり、抽象絵画が感覚の領域へと踏み込んだ瞬間を鮮やかに示している。

 ドローネーは、具象的世界の再現から距離を取りながら、色そのものが持つ自律的な力に着目した画家である。彼にとって色彩とは、対象を説明するための補助的要素ではなく、視覚を揺り動かし、感覚を喚起する主体であった。色はそれ自体で振動し、隣り合う色と関係を結ぶことで、運動や緊張、調和を生み出す。ドローネーの絵画理論は、この色彩の相互作用を中心に構築されている。

 《リズム螺旋》において、画面に描かれる円環や曲線は、特定の物を指し示す記号ではない。それらは色と色との関係を可視化するための構造体であり、視覚的な実験装置とも言える存在である。ディスク状の円が反復され、S字形の曲線がそれらを貫くことで、画面には明確な方向性と流れが生じる。視線は円から円へと導かれ、やがて螺旋を描くように画面内を循環する。この視線の運動こそが、作品の主題そのものである。

 ドローネーが重視したのは、色の「対比」がもたらす視覚的効果であった。補色や近接色が隣り合うことで、色は互いを押し合い、反発し、あるいは共鳴する。その結果、色は静止した面から浮かび上がり、振動するかのような印象を与える。《リズム螺旋》では、この対比の力が徹底的に活用され、赤や青、黄色や緑といった色彩が、明確な境界を保ちながらも、絶えず視覚的緊張を生み出している。

 この緊張は、単なる視覚的刺激にとどまらない。色彩のリズムは、観る者の身体感覚に直接訴えかけ、まるで音楽を聴いているかのような感覚を呼び起こす。ドローネー自身がしばしば音楽的比喩を用いたように、彼の絵画は旋律や拍子を持つ。色の反復はリフレインとなり、対比は和音や不協和音として響く。視覚は聴覚へと接近し、感覚の境界は曖昧になる。

 螺旋という形態の選択もまた、重要な意味を持つ。螺旋は、円運動と直線的進行を同時に内包する形であり、始点と終点を持たない運動の象徴である。《リズム螺旋》において、曲線は閉じることなく画面を貫き、時間が前進し続ける感覚を生み出す。ここでは、過去と未来、開始と終結といった区別は消え、純粋な「持続」としての時間が立ち現れる。

 ドローネーの抽象は、冷たい理知の産物ではない。そこには、色が感情に及ぼす作用への深い洞察がある。彼は色を心理的・感覚的な現象として捉え、色の組み合わせがもたらす情動の変化を探究した。《リズム螺旋》における高揚感や緊張感、あるいは軽やかな浮遊感は、色彩の配置そのものから自然に立ち上がってくる。

 このような色彩中心の思考は、同時代のキュビスムとも距離を保っている。形態の分解や構造分析に重きを置いたキュビスムに対し、ドローネーはあくまで色の力を信じた。彼の関心は、対象をいかに理解するかではなく、視覚がいかに感じるかにあった。その姿勢は、後の抽象表現主義やカラーフィールド・ペインティングに連なる感覚的抽象の先駆と見ることができる。

 《リズム螺旋》は、理論と感覚が高度に均衡した作品である。そこには厳密に計算された色彩関係が存在する一方で、観る者は理屈を知らずとも、直感的にその運動を体感することができる。色は説明を拒み、ただ感じられるものとして、画面上で脈打っている。

 本作が今日においても強い存在感を放つのは、視覚体験そのものを問い直す力を持っているからにほかならない。《リズム螺旋》は、絵画が静止した物体ではなく、感覚の中で生成し続ける現象であることを示している。色彩は形を超え、時間を帯び、リズムとして知覚される。その瞬間、絵画は視覚芸術の枠を越え、感覚の総体へと開かれるのである。

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