【高田の馬場附近】織田一磨‐東京国立近代美術館所蔵

高田の馬場附近
近代東京の呼吸をとらえた水彩都市詩

東京という都市は、近代日本において最も急激に姿を変えた空間である。江戸から東京へ、武家の都から近代国家の首都へと変貌する過程で、街路、建築、人々の生活は日々更新され続けた。その移ろいのただ中で、都市の「現在」を静かにすくい取ろうとした画家の一人が、織田一磨である。
《高田の馬場附近》は、1911年(明治44年)に制作された水彩画であり、都市の発展と日常の呼吸が交錯する瞬間を、極めて抑制された筆致で描き出した作品である。

織田一磨は、明治後期から昭和期にかけて活躍した洋画家であり、日本における都市風景画の展開を語るうえで欠かすことのできない存在である。東京美術学校で基礎を学んだ後、フランスへ留学し、パリにおいて西洋近代絵画の実際に触れた経験は、彼の視覚と思考に大きな転換をもたらした。印象派の光と色彩、写実主義の空間把握、そして都市を主題とする視線。それらは帰国後の作品において、日本の風景と自然に融合されていく。

《高田の馬場附近》が描かれた明治末年は、日本社会が制度的にも感覚的にも次の時代へと移行しつつあった時期である。鉄道網の拡充、郊外の開発、人口の集中。高田の馬場は、そうした都市拡張の前線に位置する場所であり、中心と周縁、旧来と新規が混在する独特の表情をもっていた。織田がこの場所を描いたことは、単なる地理的選択ではなく、変化の只中にある都市を見つめる意識的な行為であったと考えられる。

画面に広がるのは、特別な事件や劇的な瞬間ではない。街路、建物、遠景へと続く空間が、淡く、しかし確かな輪郭をもって構成されている。水彩と鉛筆による表現は、過度な強調を避け、空気の層そのものを画面に留めるかのようである。水彩特有の透明性は、建物の量感を軽やかに解体し、都市の風景を一時的な現象として浮かび上がらせる。

織田一磨の水彩は、単なる写生にとどまらない。そこには、西洋で学んだ遠近法や光の理論が確かに生かされているが、それ以上に、日本的な「間」の感覚が色濃く反映されている。街路と建物の間、空と地表の間、描かれたものと描かれない余白。その均衡が、画面全体に静かな緊張感をもたらしている。

特に注目すべきは、光の扱いである。印象派的なきらめきではなく、都市の上に均等に降り注ぐ柔らかな明るさが、すべての要素を穏やかに包み込んでいる。そこには、喧騒や速度ではなく、日常の持続としての都市が描かれている。人の気配は明示されなくとも、生活の存在は確かに感じ取ることができる。

《高田の馬場附近》は、都市を賛美する作品でも、批評する作品でもない。むしろ、変わりゆく都市の一断面を、感情を抑えた視線で記録しようとする態度が貫かれている。その静けさこそが、この作品の核心である。近代化の波に呑み込まれつつある風景を、過剰な物語化から解放し、ひとつの視覚的事実として提示する。その姿勢は、後の都市風景画における重要な基盤となった。

また、本作は資料的価値を超えて、都市と個人の関係を静かに問いかける。近代都市において、人はどのように空間と向き合い、どのように日常を生きるのか。織田の描く高田の馬場は、その問いに対する一つの詩的な応答である。そこには、進歩への高揚も、不安の強調もない。ただ、現在という時間が、淡く定着している。

織田一磨は、生涯を通じて風景を描き続けた画家であったが、その関心は常に「いま、ここ」に向けられていた。《高田の馬場附近》は、その姿勢が最も端正なかたちで結実した作品の一つである。都市が急速に姿を変える時代にあって、変化の速度に抗うように描かれたこの水彩は、現代の私たちにとっても、見ることの静けさと深さを思い出させてくれる。

近代東京の風景は、もはや失われたものとなりつつある。しかし、織田一磨の画面において、それは今なお、静かに息づいている。
《高田の馬場附近》は、都市を描いた一枚の絵であると同時に、近代日本が獲得しようとした視覚の成熟を示す、確かな証言なのである。

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