【築地河岸】織田一磨‐東京国立近代美術館所蔵

築地河岸
水都東京に映る大正の感覚と都市の変容

 大正初年の東京は、静かでありながら確かな熱を内包した都市であった。近代化の歩みは明治期に基礎を築き、その成果が都市の隅々にまで可視化されつつあった時代である。河岸、橋、港、倉庫といった水辺の風景は、物流と生活、そして外来文化の接点として、東京の近代性を最も端的に示す場であった。織田一磨の《築地河岸》(1914年)は、そうした都市の呼吸を、水彩とパステルという軽やかな媒体を通して定着させた作品である。

織田一磨は、明治末から昭和初期にかけて活動した洋画家であり、日本における都市風景表現の成熟を体現した存在である。彼の画業は一貫して風景に向けられていたが、その視線は固定されたものではなく、時代と経験に応じて柔軟に変化していった。初期の作品に見られる沈鬱で内省的な自然表現から、次第に都市へと関心が移行していく過程は、日本社会そのものの変化と呼応している。

その転換を決定づけた要素の一つが、1910年代における大阪での生活体験であった。大阪は当時、日本でもっとも先鋭的に西洋文化を受容した都市であり、カフェー文化や娯楽産業を通じて、エキゾチシズムとデカダニズムが独特の都市的感覚として広がっていた。織田はこの都市の空気に強く刺激され、視覚世界の再編を迫られることになる。彼自身が語るように、その感覚は一過性のものではなく、深く「滲透」し、後の制作に長く影響を与えた。

《築地河岸》は、そうした感覚を携えて東京に戻った織田が、水辺の都市風景を新たな眼差しで捉え直した成果である。画面には、青空の下、河岸に静かに停泊する船と、対岸に連なる都市の輪郭が描かれている。そこには劇的な構図や象徴的なモチーフは存在しない。しかし、光と色彩の選択、空間の整理によって、都市の活力と洗練が穏やかに浮かび上がってくる。

本作における色彩は、織田の従来の抑制的な傾向から一歩踏み出している。水面に反射する光、空の明るさ、船体の輪郭は、透明感のある色層によって軽快に構成され、画面全体に開放的な印象をもたらしている。そこには、自然の哀愁よりも、都市の感覚的魅力が前景化している。大阪で体得した異国的な視覚体験が、東京の風景に重ね合わされているのである。

一方で、この作品は決して華美ではない。デカダニズム的感覚は、過剰な装飾や頽廃的主題としてではなく、洗練された距離感として表れている。背景の街並みは意図的に簡略化され、具体性よりも雰囲気が優先されている。その結果、船と水面、空といった要素が、ひとつの調和したリズムの中で共存する。これは、現実の都市を再現するのではなく、都市がもつ感覚的な「表情」を描こうとする態度の表れである。

水面の描写もまた、本作の重要な要素である。パステルと水彩の併用によって、揺らぎと反射が柔らかく表現され、都市の重さは画面から巧みに取り除かれている。船は停泊していながら、静止しているのではなく、時間の流れの中に置かれている存在として感じられる。そこには、都市が持つ一瞬性と持続性の両義性が示されている。

《築地河岸》が描くのは、労働や市場の喧騒そのものではない。むしろ、都市が呼吸を整える合間のような時間である。その静けさは、明治期の内省的風景とも、昭和期の記録的都市画とも異なる、大正特有の感覚を帯びている。近代化を肯定も否定もせず、ただ、その空気を受け止める姿勢が、この作品には貫かれている。

この作品は、織田一磨の作風が成熟期へと向かう過程を示す重要な一枚であると同時に、大正期東京の都市文化を視覚的に伝える貴重な証言でもある。水辺という境界的空間を通して描かれた《築地河岸》は、近代日本が獲得しつつあった都市の美意識を、静謐で叙情的なかたちで定着させている。

都市は変わり続ける。しかし、その変化の途中に存在した一瞬の感覚は、絵画の中でのみ保存されうる。《築地河岸》は、そのことを静かに教えてくれる作品である。

 

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