【赤い扇】有馬さとえ(三斗枝)‐東京国立近代美術館所蔵

赤い扇
静光にひらく女性像の内奥

有馬さとえが一九二五年に描いた《赤い扇》は、大正期日本洋画の成熟を静かに物語る作品である。本作は、第六回帝展に出品され、当時の画壇において高い評価を受けたが、その意義は単なる展覧会的成功にとどまらない。そこには、女性画家としての困難な歩みの中で培われた視線と、近代日本における女性像の新たな表現可能性が、抑制された画面の奥深くに結晶している。

有馬さとえは一八九二年、鹿児島に生まれた。地方に生を受けた彼女が、洋画家を志して上京した背景には、当時としては並々ならぬ決意があったと想像される。東京で岡田三郎助に学び、確かな写実的基礎と油彩技法を身につける一方で、女性であるがゆえの制約や偏見とも向き合わねばならなかった。有馬の画業は、こうした外的困難と内的な探求とが交差する地点で形成されていったのである。

《赤い扇》が制作された頃、有馬はすでに文展・帝展への入選を重ね、画家としての評価を着実に高めていた。しかし本作には、単なる技巧的熟達を超え、自身の表現を内側から組み替えようとする意志が明確に表れている。画面中央に配された女性像は、静かに腰を下ろし、赤い扇を手にしている。その姿は安定感に満ち、過剰な身振りや感情表現を排しているが、そこにこそ本作の緊張と深度がある。

女性の表情は穏やかでありながら、決して空虚ではない。視線は観る者を正面から捉えるのではなく、わずかに逸らされ、内省へと向かっているかのようである。この距離感が、鑑賞者に一種の沈黙を強いる。女性は語らず、説明もしない。ただ、そこに「在る」ことによって、内面の存在感を強く主張するのである。

本作において特筆すべきは、光と影の扱いであろう。柔らかな光が顔や手元を照らし出し、背景には深みのある暗色が広がる。この明暗の対比は、単なる立体表現にとどまらず、心理的奥行きを画面にもたらしている。光は女性の静謐な精神性を象徴し、影は語られぬ思考や感情の層を暗示する。こうした表現は、印象派以降の西洋絵画の成果を踏まえつつも、有馬自身の感受性によって再構成されたものである。

赤い扇は、画面における唯一といってよい強い色彩的アクセントである。赤は情熱や生命力を想起させる一方、日本文化においては祝祭性や内なる力を象徴してきた色でもある。有馬はこの赤を、女性像の外面的装飾としてではなく、内面の核を示す徴として用いている。扇を持つ手は静かで、決して劇的ではないが、その抑制された動きの中に、確かな意志と自立の気配が宿る。

岡田三郎助のもとで学んだ有馬は、初期には自然主義的で端正な人物表現を特徴としていた。しかし《赤い扇》においては、師の影響から距離を取り、より簡潔で象徴性の高い構成へと踏み出している。背景は具体的な場所性を失い、女性像を包む精神的空間として機能する。これは、外界の再現から内面の表現へと軸足を移した、有馬の画業上の重要な転換を示している。

大正末期という時代背景も、本作の理解に欠かせない。西洋文化の流入とともに個人主義的価値観が広まりつつあった一方で、社会構造や性別役割における制約は依然として強固であった。《赤い扇》の女性像は、そうした時代の狭間に立つ存在として読むことができる。彼女は声高に自己主張することはないが、その沈黙自体が、内面的自立を示す強い表現となっている。

《赤い扇》は、有馬さとえの画業を象徴するだけでなく、大正期日本洋画における女性像の可能性を拡張した作品である。そこに描かれた女性は、鑑賞者の視線に消費される存在ではなく、静かに自己の内奥を保持する主体として立ち現れる。有馬は、この作品を通じて、女性が描かれる対象であると同時に、表現の担い手であることを、雄弁な沈黙のうちに示したのである。

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