【貝殻と鳥】脇田和‐東京国立近代美術館所蔵

貝殻と鳥
脇田和 静謐の構図に宿る感情と思考

脇田和が1954年に描いた《貝殻と鳥》は、一見すると穏やかで叙情的な静物画に見える。しかし、その静けさの奥には、絵画という行為をめぐる強い思索と、構成への冷静な意志が張り詰めている。本作は、身近な自然物を通して世界を把握しようとした脇田の姿勢を端的に示すと同時に、戦後日本洋画が抱えていた「感情」と「理性」の緊張関係を、きわめて洗練されたかたちで結晶させた作品である。

脇田和は1903年に東京に生まれ、昭和期を通じて静かな存在感を放ち続けた画家である。派手な前衛運動に与することなく、日常の風景や身近なモチーフを描き続けた彼の作品は、しばしば穏健で抑制的と評される。しかしその実、画面の背後には明確な構成意識と、絵画を成り立たせる原理への鋭い洞察が存在している。特に1940年代から50年代にかけての作品群では、情感豊かなモチーフと、ほとんど幾何学的とも言える画面構成とが、拮抗するように共存している。

《貝殻と鳥》においてまず印象的なのは、画面を斜めに横切る大胆な分割である。画面は明確に二つの領域に分かたれ、それぞれに異なる性質のモチーフが配されている。一方には貝殻を中心とする静かな存在が、もう一方には鳥という動的な生命が置かれる。この単純化された構図は、偶然の産物ではない。脇田は、画面を分割することによって、異質なもの同士を並置し、そこに緊張と均衡を生み出そうとしたのである。

貝殻は、時間の堆積を思わせる存在として描かれている。海から切り離され、静止した状態に置かれたその形態は、動きを失ったがゆえに、かえって永続性を帯びる。質感は簡潔に捉えられ、過度な写実性は避けられているが、そこには「在る」という事実の確かさが宿る。一方、鳥は軽やかで、画面に動勢をもたらす存在である。その姿は写実的でありながらも象徴性を帯び、自由や生命の循環を暗示するかのようだ。

この二つのモチーフは、「静」と「動」という対照的な性質を体現している。しかし重要なのは、両者が対立したまま分断されているのではなく、画面全体の秩序の中で均衡を保っている点である。斜めの分割線は、視線を自然に往復させ、静と動を循環させる役割を果たす。脇田は、対立する要素を衝突させるのではなく、静かな緊張の中で共存させることを選んだ。

色彩の扱いにも、彼の理知的な感覚がよく表れている。本作では、青、白、黒を基調とした抑制された色彩が用いられている。青は空や海を想起させ、広がりと静寂をもたらす色である。一方、白は形態を浮かび上がらせ、黒は輪郭や陰影として画面を引き締める。これらの色は感情を喚起する一方で、画面の構造を支える要素として厳密に配置されている。色彩は感覚のためだけに存在するのではなく、構成の一部として機能しているのである。

脇田和の絵画においてしばしば語られる「情と智」という言葉は、この作品において極めて明瞭なかたちをとる。貝殻や鳥といったモチーフは、誰にとっても親しみやすく、情緒を誘う。しかし、それらが置かれる場所、画面の分割、色彩の配分は、徹底して理性的に計算されている。この二重構造こそが、脇田作品の本質であり、単なる抒情画に終わらせない強度を生んでいる。

戦後の日本社会が急速な変化の中にあった1950年代、脇田は声高な主張を避け、身近な自然物を通して世界の秩序を見つめ続けた。《貝殻と鳥》は、その姿勢を象徴する一作である。日常のなかに潜む静けさと緊張、感情と理性のせめぎ合いを、簡潔で洗練された画面に封じ込めることで、彼は普遍的な絵画空間を創出した。

この作品の前に立つとき、私たちは説明や物語よりも先に、画面に満ちる沈黙を感じ取ることになるだろう。その沈黙こそが、脇田和が絵画に託した思考の深さであり、今なお静かに語りかけてくる所以なのである。

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