【1965(静物ー緑と茶)】ベン・ニコルソン‐東京国立近代美術館所蔵

1965(静物―緑と茶)
抽象と自然のあわいにひらかれる静謐な構造

ベン・ニコルソンが一九六五年に制作した《1965(静物―緑と茶)》は、抽象絵画が到達し得た一つの成熟した境地を、静かに、しかし確固として示す作品である。東京国立近代美術館に所蔵されるこの一作は、幾何学的抽象の厳格さと、自然への深い感受性とが拮抗する地点において成立しており、ニコルソン芸術の晩年における思索の厚みを端的に伝えている。

ニコルソンは、二十世紀イギリスを代表する抽象画家として、しばしば理知的で冷静な構成の作家として語られてきた。しかしその作品世界を丹念に辿るとき、そこには常に自然へのまなざしが潜在していることに気づかされる。《1965(静物―緑と茶)》もまた、一見すれば色面と線によって構成された抽象画でありながら、タイトルが示す通り「静物」という具象的ジャンルの記憶を内包している。ここで描かれているのは、物の形そのものではなく、物がそこに「在る」ことの感触であり、自然の色と構造がもつ根源的な秩序である。

画面を支配する緑と茶の色調は、極めて限定的でありながら、豊かな響きをもって展開されている。緑は植物や生命の気配を想起させ、茶は大地や物質の重みを感じさせる。ニコルソンにとって色彩は、感情を直接的に表出する手段ではなく、世界の構造を把握するための言語であった。この作品においても、色は形に従属するのではなく、むしろ色面の配置そのものが空間を規定し、形態を浮かび上がらせている。

構図に目を向けると、直線と曲線、鋭角と緩やかな弧が、緊張と均衡を保ちながら共存していることがわかる。これらの要素は、幾何学的でありながら機械的ではなく、自然界に潜むリズムを思わせる柔らかさを帯びている。ニコルソンはキュビスムや新造形主義の影響を受けつつも、それらを単なる様式としてではなく、自身の自然観と結びつけることで独自の表現へと昇華させた。《1965(静物―緑と茶)》は、その成熟した成果の一例である。

静物画という伝統的なジャンルは、本来、身近な物の配置を通じて、時間の停止や沈思の場を生み出すものであった。ニコルソンはこの本質を、抽象という手法によって再解釈している。具体的なモチーフは消去されているが、その代わりに、物と物との関係性、空間に生じる緊張、沈黙の中に漂う気配が、より純化されたかたちで提示されているのである。

この作品が放つ静謐さは、感情を抑制した結果としての冷たさではない。むしろそれは、長年にわたる制作と思索を経て到達した、世界との穏やかな和解のようにも感じられる。抽象と具象、理性と感覚、構築と自然といった二項対立は、ここでは対立のままではなく、静かな緊張を保った共存として画面に定着している。

《1965(静物―緑と茶)》は、抽象絵画がしばしば抱え込む難解さを超え、見る者に沈思の時間を与える作品である。そこには、自然を直接描かずとも、自然と深く結びついた造形が可能であること、そして抽象が決して非人間的な表現ではないことが、確かな説得力をもって示されている。ニコルソンのこの静かな一作は、二十世紀美術が到達した精神的成熟の一断面を、今なお瑞々しく伝えている。

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