【白磁蝶耳瓶】初代宮永東山‐東京国立博物館所蔵

白のうつろいに舞うかたち
初代宮永東山《白磁蝶耳瓶》―京焼近代の詩学
大正期という時代は、日本の工芸が伝統の内奥を確かめ直しながら、外来文化との緊張関係のなかで新たな表現を模索した転換点であった。その只中に生み出された初代宮永東山の《白磁蝶耳瓶》は、静謐な白の造形に、時代の思索と未来への感受性を凝縮した作品として位置づけられる。東京国立博物館に所蔵されるこの双耳花入は、単なる装飾的妙味を超え、近代京焼が到達した精神的高度を雄弁に物語っている。
宮永東山(一八八二―一九五八)は、京焼の系譜に立ちながらも、近代的知性と国際的視野を備えた稀有な陶芸家であった。パリ万博事務局での勤務経験を通じて、西洋美術の構造意識や造形感覚に触れた彼は、帰国後、七代錦光山宗兵衛らと交流しつつ、京都陶芸の刷新に深く関与していく。東山の眼差しは、伝統を否定するのではなく、その内在的論理を見極め、そこに新たな解釈を差し込む点に向けられていた。
《白磁蝶耳瓶》においてまず注目されるのは、その形態の抑制と緊張感である。端正に立ち上がる胴部は、過剰な装飾を排し、白磁特有の滑らかな肌理を前面に押し出す。その静かな量感に対し、左右に配された双耳は、意表を突く蝶の造形によって構成されている。従来の京焼花入に多く見られた鳳凰や霊獣とは異なり、蝶という軽やかで儚い存在を選び取った点に、東山の美意識の核心がある。
蝶は、日本美術において変容、再生、魂の象徴として繰り返し表象されてきた。東山はこの象徴性を踏まえつつ、白磁という無垢な素材の上に、あえて陰影を抑えた立体として蝶を配した。翅の起伏は過度に誇張されることなく、白の中にわずかなリズムとして立ち現れる。その姿は、飛翔の瞬間を写し取るというよりも、静止のなかに潜む気配を示すかのようであり、見る者の感覚を内省へと導く。
白磁の選択もまた、東山の思想を端的に示している。白は無色であると同時に、あらゆる色を内包する場である。装飾性を削ぎ落とした白磁は、形態そのものの緊張や、光の移ろいを鋭敏に映し出す。《白磁蝶耳瓶》では、釉面に走る微細な反射が、時間の経過や鑑賞者の動きによって表情を変え、作品を固定された物体ではなく、経験される現象として提示する。
この作品における革新性は、奇抜さではなく、沈黙の深さにある。東山は、西洋的な造形意識を直接的に引用するのではなく、日本陶芸の内部に潜む「かたちの思考」を更新することで、近代性を獲得した。蝶耳というモチーフは、その象徴的選択であると同時に、京焼という伝統が本来持っていた柔軟性と詩的感受性を呼び覚ます装置でもあった。
《白磁蝶耳瓶》は、用の器でありながら、用途を超えた精神的造形として成立している。花を生けることで完成する器でありながら、空である状態においてすでに完結した緊張を備えている点に、この作品の成熟がある。そこには、近代という不確かな時代を生きた陶芸家の、静かな覚悟と美への信頼が沈殿している。
初代宮永東山がこの作品によって示したのは、伝統と革新の対立ではなく、その深い和解であった。《白磁蝶耳瓶》は、京焼が近代において選び取った一つの理想形として、今なお澄んだ白の沈黙のうちに、私たちに問いを投げかけ続けている。
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