【七宝菊唐草文瓶】並河靖之‐東京国立博物館所蔵

七宝菊唐草文瓶
並河靖之―近代七宝における黒の詩学

 東京国立博物館に所蔵される並河靖之制作《七宝菊唐草文瓶》は、日本近代工芸の到達点を静かに示す作品である。そこに見られるのは、技巧の誇示ではなく、極度に研ぎ澄まされた均衡と沈黙であり、七宝という素材がもつ可能性を、限界まで思索した末の結晶である。本作は、明治期の日本が直面した伝統と革新、西洋との邂逅と自国美意識の再編という課題を、ひとつの器物のうちに凝縮している。

 七宝とは、金属胎に施された釉薬を焼成し、色彩と光沢によって文様を表す技法である。ガラス質特有の透明感と、金属がもたらす堅牢さを併せ持つこの技法は、日本では中世以降、装飾性の高い工芸として発展してきた。しかし近代に入ると、その位置づけは大きく変化する。工芸が「美術」として自立するためには、単なる装飾性を超えた構想力と表現意志が求められた。並河靖之は、まさにその転換点に立った人物である。

 京都に生まれた並河は、伝統的な意匠感覚を基盤としながら、明治という時代がもたらした新しい技術や価値観を柔軟に吸収した。とりわけ彼が追究したのは、色彩の深度であった。七宝において色は装飾の要であるが、並河は色を「面白さ」ではなく「空間」として捉えた。重層的に焼き重ねられた釉薬は、表面にとどまらず、奥行きをもって鑑賞者の視線を引き込む。

 本作《七宝菊唐草文瓶》において、まず目を奪うのは、沈み込むように深い黒釉である。黒は、七宝において最も制御の難しい色とされる。わずかな配合や焼成条件の違いが、濁りや不均一を生むためである。並河の黒は、そうした不安定さを完全に克服し、むしろ静謐な背景として機能している。この黒は無ではなく、すべての色彩を内包する深淵として存在している。

 その黒の上に浮かび上がるのが、菊と唐草の文様である。菊は皇室的象徴性とともに、長寿や秩序を意味する花であり、唐草は生命の連続と拡張を象徴する。静と動、中心性と遍在性という対照的な意味をもつ二つのモチーフが、本作では不思議な調和を保っている。それは意匠の巧みさというより、全体構成における呼吸の設計によるものだろう。文様は器面を支配せず、あくまで黒の空間に寄り添うように配置されている。

 並河の七宝が「絵画的」と評される所以は、ここにある。彼は文様を貼り付けるのではなく、器の形態と一体化させた。花瓶という立体は、単なる支持体ではなく、色彩と線が呼応する舞台である。鑑賞者は器を回しながら、連続するリズムと微妙な変化を体験することになる。その体験は、平面的な装飾を超え、時間性を伴う鑑賞へと導く。

 1896年、並河靖之は帝室技芸員に任命され、その名声は国内外に確立した。しかし本作に漂うのは、栄誉や自己主張ではなく、むしろ沈思の気配である。国際博覧会で喝采を浴びた華麗な作品群とは異なり、《七宝菊唐草文瓶》は内省的で、抑制された美を湛えている。ここには、七宝をいかにして「近代美術」として成立させるかという、並河自身の思索が色濃く反映されている。

 明治期の工芸は、西洋的価値体系の中で評価されることを余儀なくされた。その中で並河は、迎合ではなく深化を選んだ。伝統文様を用いながらも、それを装飾的記号として消費するのではなく、色彩と構成の問題として再定義したのである。本作は、その姿勢が最も純化された形で現れた例といえる。

 《七宝菊唐草文瓶》は、並河靖之という一人の作家の代表作であると同時に、日本近代工芸が到達しえた静かな極点である。そこには、技巧を超えた精神性と、素材への深い理解が息づいている。黒の深さに身を委ねるとき、鑑賞者は単なる美しさではなく、時代と個人の思索が重なり合う場所に立ち会うのである。

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