【犬追物図屏風】筆者不詳‐東京国立博物館所蔵

疾走する矢と沈黙の規律
犬追物図屏風にみる江戸武士の身体と美意識

金地の広がりのなかを、馬は疾り、犬は奔る。弓を引き絞る武士の身体には、躍動と緊張が同時に宿り、その一瞬が永遠の像として定着されている。「犬追物図屏風」は、江戸時代における武士の修練、遊戯、そして美意識が交差する地点を、静かに、しかし雄弁に語る作品である。

犬追物は、単なる残酷な競技として理解されがちであるが、本来それは武士の弓馬術を完成させるための高度な訓練であった。騎乗したまま疾走する犬を射るという行為は、視覚、判断、身体操作のすべてを極限まで統合する行為であり、静的な的を射る弓術とは本質的に異なる。そこでは、自然の不確実性に即応する能力が試され、武士に求められた「生きた技」が露わとなる。

本屏風は、その犬追物を「縄の犬」と「外の犬」という二つの局面に分けて描き出している。画面右では、縄に囲われた限定空間の中を犬が走り、射手はその運動を読み切る精度を競う。左では、縄を越えて解き放たれた犬に対し、より即応的で大胆な射が求められる。二つの場面は、弓術の異なる側面──制御と即興、計測と判断──を対照的に示しており、構成そのものが武芸論として成立している。

描かれた武士たちは、誇張を排した姿勢で馬上にあり、個々の表情は抑制されている。そこに英雄的誇示はなく、あるのは規範化された身体の美である。弓を引く腕、鐙にかかる脚、馬の首の角度までが、長年の鍛錬によって形成された「型」として画面に定着している。犬の描写もまた注目に値する。恐怖や混乱ではなく、走るという行為そのものに集中した姿が描かれ、画面全体に均衡ある緊張感をもたらしている。

紙本金地着色という技法は、この主題に特有の効果を与えている。金地は具体的な場所性を消去し、競技の場を現実から切り離す。その結果、犬追物は特定の事件ではなく、理念化された武士の営みとして提示される。色彩は明快でありながら過度に感情的ではなく、動きの連続が画面全体にリズムを生み出している。疾走の瞬間が連なり、時間は物語としてではなく、反復される型として流れていく。

江戸時代、武士はもはや戦場の常住者ではなかった。平和の時代において、武芸は実戦のためというよりも、身分と精神性を支える象徴的実践へと変質していく。犬追物もまた、そのような文脈の中で位置づけられる。実用性を離れつつも、武士であることの証として、形式化され、儀礼化され、絵画の主題となったのである。

この屏風が伝えるのは、暴力の記録ではなく、統御された身体と精神の像である。犬と馬と人が一つの秩序の中に配置され、自然の運動すらも武士の規律のうちに包摂されている。その光景は、江戸社会が理想とした「制御された力」の視覚化にほかならない。

「犬追物図屏風」は、武士文化の一側面を鮮烈に映し出しながら、同時に、動と静、残酷と美、遊戯と修練という相反する要素を一つの画面に調和させている。その均衡のうちにこそ、江戸美術の成熟がある。矢は放たれ、犬は走る。しかし金地のなかで、それらは永遠に静止し、見る者に問いを投げかけ続けるのである。

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