【窓】東郷青児ーsompo美術館

窓の彼方に佇む夢

――東郷青児《窓》と詩的モダニズムの成立――

1929年に制作された東郷青児の《窓》は、日本近代絵画におけるモダニズムの受容と変容を象徴的に示す作品である。SOMPO美術館に所蔵されるこの一点は、激動の昭和初期という時代背景のなかで、ひときわ静かな光を放ち続けてきた。そこに描かれているのは、事件でも物語でもない。ただ一人の女性と、その背後に開かれた「窓」である。しかし、その沈黙の画面は、観る者の内奥に深く語りかける力を備えている。

東郷青児は1897年、鹿児島に生まれ、若くして日本の洋画界に身を投じた画家である。1921年に渡仏し、パリに滞在した彼は、当時のヨーロッパ美術の最前線に身を置くこととなった。キュビスムの構造意識、象徴主義の精神性、アール・デコの洗練された装飾性──それらは単なる様式としてではなく、都市パリの空気そのものとして彼の感性に刻み込まれた。

帰国後の東郷は、新興美術運動に関わりながらも、急進的な前衛へと突き進む道を選ばなかった。むしろ彼は、実験性と抒情性のあいだに立ち、独自の均衡点を探り続けた画家である。《窓》が描かれた1920年代末は、彼がその均衡をつかみ取りつつあった時期にあたる。

画面中央に配された女性像は、東郷芸術の象徴とも言うべき存在である。彼女は特定の個人を示す肖像ではなく、名を持たない理想像として描かれている。なめらかな肌、簡潔に処理された輪郭、感情を抑制したまなざし。その表情は冷ややかでありながら、どこか親密な距離感を保っている。現実の女性でありながら、同時に夢の住人でもあるという二重性が、そこには宿っている。

女性の背後に置かれた「窓」は、この作品の核心的モチーフである。それは単なる室内装置ではなく、内界と外界、意識と無意識、現実と幻想を媒介する象徴として機能している。窓の向こうに広がる風景は具体性を欠き、抽象的な色面として処理されているが、だからこそ無限の解釈を許す余白が生まれている。

色彩は全体として抑制され、灰青色や生成りのような中間色が画面を支配する。その静かな色調のなかで、女性の存在だけがほのかな光を帯び、視線を引き寄せる。装飾的でありながら過剰に陥らないこの色彩感覚は、アール・デコ的洗練と日本的な間(ま)の意識とが融合した結果といえるだろう。

空間構成もまた特筆に値する。《窓》には明確な遠近法が存在せず、画面はあくまで平面的に保たれている。この平坦性は、現実空間の再現を拒否し、むしろ心理的な空間を可視化する装置として機能する。その結果、鑑賞者は「見る」よりも「感じる」ことを求められるのである。

1920年代の日本社会は、都市化と西洋化が急速に進行した時代であった。モダン都市文化の華やぎの裏で、社会不安や精神的空虚もまた広がっていた。《窓》が放つ静謐さは、そうした時代の喧騒から一歩距離を置き、人間の内面へと沈潜する態度を示している。

東郷は、西洋モダニズムの形式を受け入れつつ、それを日本的抒情性によって包み込んだ。彼の絵画は決して声高に主張しないが、沈黙のうちに強い詩情を湛えている。《窓》に描かれた女性のまなざしは、時代を超えてなお、観る者に問いを投げかけ続ける。

それは「何を見ているのか」という問いであると同時に、「私たちはどこに立っているのか」という問いでもある。《窓》は、外界を眺めるための装置である以前に、自己を見つめ返すための鏡なのかもしれない。

東郷青児の《窓》は、日本における詩的モダニズムの到達点のひとつである。そこに描かれた静かな夢は、時代の不安を超え、今なお私たちの感性にそっと寄り添い続けている。


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