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【二人の弟子と共に描いた自画像Self-Portrait with Two Pupils】アデライデ・ラビーユ=ギアールーメトロポリタン美術館所蔵
- 2025/12/3
- 08・新古典主義・ロマン主義美術, 2◆西洋美術史
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アデライデ・ラビーユ=ギアールと女性芸術家の地平
《二人の弟子と共に描いた自画像》にみる18世紀フランスの創造の連鎖
18世紀フランスは、啓蒙思想の台頭とともに芸術へのまなざしが大きく変化した時代であった。貴族文化の洗練と市民階級の台頭が交錯し、肖像画が社交世界を映す鏡として隆盛をきわめる中、女性芸術家たちは制度的制約という厚い壁を前にしながらも、新たな表現の場を切り拓こうとしていた。アデライデ・ラビーユ=ギアール(1749–1803)はその中心に立つ存在であり、《二人の弟子と共に描いた自画像》(1785年)は、彼女の芸術的自負と教育への確信が織り込まれた希有な作品である。本稿では、この自画像を起点に、女性芸術家がいかにして自身の地位を獲得し、教育の場でいかなる役割を担ったのかを探っていく。
1750年前後のパリで画家として身を立てることは、男性にとっても容易ではなかったが、女性にはさらに厳しい制約が課されていた。王立アカデミーは原則として女性会員を制限し、裸体デッサンの講義も女性には開かれていなかった。それでも、ラビーユ=ギアールは自らの技量を武器にこの狭き門を突破し、1783年、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランとともにアカデミーに迎え入れられる。この出来事は当時の社会に強い波紋を呼び、女性芸術家の地位向上に向けた象徴的な転機となった。
ラビーユ=ギアールの肖像画には、対象の個性を捉える洞察と、絵画表現としての精緻な構築力が同居している。彼女は単に外見を写すのではなく、その人物が属する社会、性格、人生の気配までも画面に沁み込ませる。王族や貴族たちが彼女の筆を求めたのは、肖像画が自らの「存在の証明」であった時代において、彼女の絵がその人物の“声”を持っていたからにほかならない。
こうした成熟した眼差しと職能への深い理解は、《二人の弟子と共に描いた自画像》において最も明確に示される。この作品は、自身の姿を描くという自画像の枠組みを超え、「女性が女性を導き、次の世代を支える」という宣言として読み解くことができる。キャンバスの前に立つラビーユ=ギアールは、まるで観者を冷静に迎え入れるような落ち着いた表情を見せ、その背後には二人の若い弟子、マリー=ガブリエル・カペとマリー=マルグリット・カロー・ド・ローズモンが寄り添う。三人の女性が同じ空間に立ち、同じ方向を向き、同じ芸術の場に身を置くという画面構成は、当時の社会通念から見ても極めて大胆であった。
特筆すべきは、画家自身の衣装である。光沢のある絹の深い青、優雅な装飾、整えられた髪。これは単なる虚栄の表象ではなく、芸術家が社会的に尊厳ある存在として認められるべきであるという主張であり、同時に女性が職能を持ち自立する姿を未来へ示す視覚的宣言である。彼女が握る筆と調色されたパレットは、女性は「描かれる者」ではなく、「描く者」たりうるという強い意思の象徴でもあった。
弟子たちの存在も重要である。二人は単に補助的な存在として配置されているのではなく、「継承される知の連鎖」を担う主体として画面に立っている。特にマリー=ガブリエル・カペは後に優れた肖像画家として名を成し、師であるラビーユ=ギアールの理念を次代へとつないだ。18世紀後半、女性が正式な教育を受ける機会は限られていたが、ラビーユ=ギアールは自身のアトリエを教育の場として開放し、女性たちが職業画家として自立するための環境を整えていった。自画像に描かれた三人の女性は、まさにその実践の可視化であり、芸術教育の場における女性の存在意義を堂々と示している。
画面構成の巧みさも見逃せない。背景の静謐な空間は、過度な装飾を避け、三人の人物像を際立たせるための舞台として整えられている。光は穏やかに画家の顔と衣装を照らし、弟子たちにも均等に降り注ぐ。そこには「芸術の光は分かち合われるべきもの」という理念が潜んでいるかのようだ。その一方で、画面奥のイーゼルや絵筆は、仕事場としての厳密な現実性を保ち、彼女の姿勢が華やかなだけでなく、確かな職能に裏打ちされていることを語り続けている。
ラビーユ=ギアールの生涯は、しばしばヴィジェ=ルブランと比較されるが、彼女は宮廷や社交界の華やかさとは異なる道を選び、「教育」と「職能の確立」というもう一つの重要な領域に深く根を下ろした。芸術家とはどのように社会と関わるべきか、女性はどのように自らの技術を継承しうるのか。この問いに対し、彼女はきわめて静かながらも確固たる答えを示したのである。
《二人の弟子と共に描いた自画像》は、18世紀末の転換期における女性芸術家の姿を最も雄弁に語る作品である。それは、自己の存在を記録する自画像でありながら、同時に「未来の女性芸術家たちへの贈り物」として機能する。彼女が残したまなざしは、今日の私たちになお鮮烈に届き続ける。芸術とは単なる表現ではなく、関係を紡ぎ、次代へ知を手渡す行為である。その深い真理を、この一枚の絵ほど静かに、しかし力強く物語る作品は多くない。
画像出所:メトロポリタン美術館
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