【山嶽】石井鶴三ー東京国立近代美術館所蔵

刻まれた山の記憶——石井鶴三《山嶽》にみる登攀者の視界
創作版画がとらえた身体と自然の交感
1920年代の日本美術において、石井鶴三の木版画《山嶽》ほど、登山者の視界と呼吸を感じさせる作品は少ない。1925(大正14)年前後に制作されたこの作品は、石井が自画・自刻・自摺によって生み出した創作版画の代表作であり、山という自然の巨大な存在を、画家自身の身体的記憶を通して刻み込んだ造形詩である。画面を覆い尽くす峻厳な山体は、単なる風景の記録ではなく、登攀という行為の体験そのものが木版という素材に凝縮された結果にほかならない。
登山者としての視点——身体を通して見る山
石井鶴三(1887–1973)は、彫刻家・画家・版画家として多面的な活動を展開したが、その根底には「自然との直接的対話」があった。彼は1919(大正8)年に日本山岳会に入会する以前から、既に北アルプスや南アルプスを踏破している。1909年には針ノ木峠から立山へ、翌年には山本鼎とともに槍ヶ岳に登攀し、さらに翌年には南アルプスを縦走した。これらの登山は、現代のように整備された道具もインフラもない時代のことであり、油紙を天幕代わりにして進む冒険そのものであった。
この実体験が、彼の山岳表現に決定的な影響を与える。石井にとって山は、遠くから鑑賞する風景ではなく、身をもって接する「生きた存在」であった。《山嶽》には、山麓から見上げる観光的視線ではなく、登攀者の息づかいが刻まれている。斜面を見上げ、岩肌の陰影をたどり、頂を仰ぐ——その瞬間の凝縮が、画面の構成そのものに表れている。
構図と造形——登高する視線
《山嶽》は縦長構図を採り、山の量感が画面中央から上方へと迫り上がる。空は最小限の余白として残され、視線は自然に頂部へ導かれる。これはまさに登攀中に感じる「上方への引き上げ」を再現した構図であり、見る者に身体的な緊張感をもたらす。山の稜線は鋭く、線と面がぶつかり合うその造形には、版木を刻む刃の感触さえ感じられる。
興味深いのは、石井がこの山の構図を左右反転させた別作を残していることだ。反転は単なる図案上の実験ではなく、山という存在の心理的印象を探る試みでもあった。右上がりの稜線は上昇感と挑戦を、左上がりは安定と包容を暗示する。石井はこの反復を通じて、山を「形」ではなく「心の力学」としてとらえ直している。
色と版——抑制の中の強度
石井の《山嶽》は多色摺でありながら、色数は驚くほど少ない。濃藍、墨、褐色、緑青など限られた色調の中に、山の量感と空気を表現している。余白を雪渓や雲の流れに見立て、白の呼吸によって山の重さと清冽さを両立させている点に、彼の構成感覚が光る。自刻・自摺による制作は、線と色を完全に自己管理できる方法であり、彫る動作そのものが表現の一部となる。刃物の進行がそのまま岩肌の硬度を表し、摺りの濃淡が光と影を織りなす。そこには、彫刻家としての石井の感覚が深く息づいている。
創作版画運動と「全身的制作」
《山嶽》が制作された1920年代は、創作版画運動が盛り上がりを見せた時期である。明治期の分業制から脱却し、作家自らが「描き・彫り・摺る」ことを重視するこの運動は、版画を独立した芸術として確立する礎となった。石井はこの理念を体現する作家であり、登山という全身運動と、木版制作という全身的創作とを重ね合わせた。《山嶽》はまさに、「登ること」と「刻むこと」がひとつになった作品である。
多くの同時代作家が都市や人物を題材にしたのに対し、石井は一貫して山岳を描いた。その選択は、モチーフの嗜好ではなく、生活と芸術が一致する必然の結果だった。彼にとって山は、心と身体を最大限に開く場であり、創作の原点でもあった。
山の象徴——自然と精神の交差
《山嶽》に描かれた山には固有名がない。だが、その鋭い稜線や雪渓の入り方から、北アルプスの槍ヶ岳や立山連峰を思わせる。この匿名性は、作品を記録的風景から解放し、山を象徴的存在へと昇華させている。山は人間を超えた永遠の存在であり、同時に人の内面を映す鏡でもある。登攀の苦しさ、頂への希求、自然への畏敬——それらの精神的体験が、木版の線と面に沈潜している。
大正期の山岳文化と芸術の融合
1920年代の日本では、大正デモクラシーの成熟とともに山岳文化が広がり、登山記や山岳写真が都市の知識層に人気を博した。しかしその多くは未踏峰への探検的要素を伴う過酷な行為であり、自然への畏敬がまだ濃厚に残る時代であった。石井はまさにその最前線に身を置き、芸術の手でその体験を結晶化した。《山嶽》は、山を単なる風景画ではなく、「人と自然の交感の場」として表した点で、当時の美術潮流の中でも異彩を放つ。
刻まれた記憶——身体を媒介する芸術
《山嶽》の前に立つと、鑑賞者は室内にいながらにして、冷たい高山の空気を感じる。稜線の緊張と沈黙は、まるで登攀の一歩手前に立つ登山者の心拍を伝えるようだ。木版の硬質な線が岩肌を、摺られた色面が空気と光を象る。そこには、石井の肉体の記憶がそのまま刻まれている。
石井鶴三の《山嶽》は、創作版画史において、自然と身体、芸術と行為をひとつに結びつけた稀有な成果である。山を描くことは、彼にとって自己の存在を刻むこと——その行為が、今なお観る者に新鮮な息吹を与え続けている。
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