【道】鈴木金平ー東京国立近代美術館所蔵

「静けさの奥にある運動——鈴木金平《道》に見る時間と物質の詩学」

東京国立近代美術館の展示室、その一隅で出会った鈴木金平《道》は、まるで空気そのものが絵の中に封じ込められているような静謐を放っていた。音のない風景の中で、時間がゆっくりと流れている。画面全体を支配するのは深く濃密な緑。その重層的な色面は、単なる自然の再現を超え、生命の呼吸を可視化している。厚く塗り重ねられた油絵具の層は、植物の葉や幹がそこに実在するかのような存在感を帯び、筆とナイフの痕跡は、風の動きや光の変化といった無形の現象を触覚的に示唆している。

近づいてみると、絵具の物質感が驚くほど豊かだ。マチエールの隆起は光を受けて微かに輝き、視線を動かすたびに表情を変える。ここには「描かれた風景」ではなく、「生成し続ける風景」がある。油彩特有の厚みと匂い、絵具の粘性までもが視覚を超えて感覚を刺激する。鈴木の《道》は、単に目で見る絵ではなく、身体で感じる作品なのである。

■ 視線を導く構成——「歩く体験」としての絵画

画面右下から始まる一本道は、観者の視線を自然に奥へと誘う。両側には木立と植物が規則的に並び、まるで緑の回廊を歩くような感覚を呼び起こす。右手の木々は垂直のリズムを刻み、左手の繁みは柔らかな陰影をつくり出す。二重の壁が視線を中央の道に集中させ、遠くにわずかに明るむ光の領域へと導く構図は、まるで映画のワンシーンのように時間的である。

この「道」はただの遠近法的な要素ではない。歩く者の速度、空気の温度、午後の日差しの角度——それらが画面の中に呼吸のように刻まれている。道の表面には、褐色や薄紫、紅などの色が幾層にも重ねられ、陽光が差し込み、影が伸びる一瞬の移ろいが閉じ込められている。観者は絵の前に立つと同時に、絵の中を「歩く」体験をするのだ。

■ 緑の変奏——色彩と光の構築

一見すると単一の緑に見える画面は、実は無数の色が絡み合ってできている。深緑、青緑、黄緑、そしてところどころに潜む赤や紫。これらの色は互いに干渉しながら、有機的な振動を生み出している。厚塗りによる混色は偶然性を伴い、それが自然の「生きている質感」を呼び起こす。

光は右上から差し込み、左側の植物群を柔らかい半陰に包む。全体が「日なた」と「日陰」の呼吸を繰り返しているかのようだ。特に支柱の部分に浮かぶ淡いピンクの反射は、現実の再現ではなく、画家の内に刻まれた「記憶の光」だろう。印象派以降の「感覚の翻訳」を日本の湿潤な光に適応させた、この色彩の扱いこそ鈴木金平の独自性である。

■ 筆致と物質の詩学

葉の部分では短く力強いストロークとナイフによる引き伸ばしが交互に使われ、光を受ける箇所が浮き上がる一方で、影の部分は沈み込む。道の描写は比較的平滑であるが、複方向の筆跡が交差し、歩けば足裏に凹凸を感じそうな錯覚を与える。これらの筆触の交響は、セザンヌ以降の構築的油彩の影響を思わせつつも、日本特有の湿度と光を吸収している。鈴木の絵具は乾いたマチエールではなく、「湿った物質」として呼吸する。

■ 時代の風景と生活の記憶

《道》が制作された頃、東京の郊外にはまだ農地や林が広がっていた。都市化の波が押し寄せる一方で、農村のリズムが残る時代。その中で、整然と並ぶ支柱や植生は、果樹園や農園の小径を思わせ、生活の営みの痕跡を静かに伝えている。舗装される前の「道」は、日常と自然、労働と休息をつなぐ現場だった。鈴木はその場所に潜む人間の記憶を、無人の風景として描き出したのだ。

■ 「道」というモチーフの内的意味

「道」は古今東西の美術において人生や旅の象徴である。だが鈴木の「道」には、旅人も車輪もいない。そこにはただ「存在する道」だけがある。この無人性こそが、作品を形而上的なレベルへと押し上げている。道は目的地へ至る手段ではなく、「時間の通路」そのものであり、観る者の内的な移動を促す。見る者が一歩進むたびに、光の層がわずかに変化し、風景が呼吸する——この体験自体が、絵画的な「歩行」なのである。

■ 同時代との対話

鈴木金平は、同時代の安井曽太郎や梅原龍三郎と異なり、人物を排除して自然そのものに対峙した。安井の構築的な色面や梅原の華やかな色彩よりも、むしろ小杉放庵の自然への沈潜に近い。しかし鈴木の筆触は放庵の水墨的軽やかさではなく、油彩特有の重みと粘りを伴う。その厚みの中で、時間と物質がゆっくりと融合していく。彼の風景は、東西の絵画的言語が日本の光と湿度の中で再翻訳された結果なのである。

■ 心理的効果と沈黙の詩

緑の濃淡は見る者に安定と静けさを与えるが、そこに混じる紫や紅が、微かな緊張や哀感を生む。この「安らぎと不安」の共存が、絵に奥行きを与えている。暖色が時間を速く感じさせ、寒色がそれを遅くする——この対立の融合によって、観者の時間感覚は曖昧となり、画面の中で永遠に歩き続けるかのような感覚をもたらす。

■ 結語——物質の静けさ、記憶の道

鈴木金平《道》は、自然と時間、物質と記憶が交差する一点に成立している。厚塗りの絵具はただの色ではなく、光と空気と時間の堆積である。画面の中の「道」は、画家自身の探求の道であり、同時に私たちが過去と未来をつなぐための精神の道でもある。鑑賞後も残るのは、深い緑の余韻とともに、自らの歩む道の静かな反照である。

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