【岩と人】大沢昌助ー東京国立近代美術館

見えないものの力 ― 大沢昌助《岩と人》が描く遮断と想像の構図
1940年の光景に刻まれた静けさと不安、そのあわいを描く
1940年、戦争の足音が確実に近づきつつあった日本の美術界において、大沢昌助の《岩と人》は異彩を放つ存在として現れた。第27回二科展に出品されたこの作品は、屋外の一瞬を捉えたかのような風景画の体裁を取りながら、その奥には、見ること・見えないことの緊張関係が精緻に組み込まれている。画面中央にそびえる巨岩、方向の定まらぬ人物たちの視線、そして画面外に広がる「見えない世界」――これらが複雑に絡み合い、観者の意識を外部へと誘う。同時にそれは、1940年という時代の閉塞と、個人のまなざしの揺らぎをも象徴している。
中央に据えられた巨大な岩は、この作品の構成上の軸であり、同時に「遮蔽物」として機能する。自然の造形物でありながら、そこに写実的な細部は抑えられ、幾何的で抽象的な量塊として描かれている。岩は、観者の視線を強引にせき止める壁であり、空間の広がりを閉ざす存在である。私たちはその向こう側に何かがあることを知りながら、それを見ることを許されない。大沢はこの「見えない領域」を意識的に設定し、絵画の中に不可視の空間を生み出した。
その岩によって、人物たちは左右に分断されている。左側には少女と少年、右側には棒を持つ男たち。彼らの間に直接的な関係は描かれず、視線の交わりもない。少女と少年は画面左外方を、男たちは岩の向こうか別の方向を見つめている。つまり、この画面には「共通の焦点」が存在しない。視線の交錯が成立しないことで、場面は一層静謐でありながら、不穏な空気を帯びる。
観者にとって決定的なのは、人物たちの注視する対象が「見えない」ことである。岩の背後か、画面の外か、あるいは想像上の空間か。私たちは彼らの視線を追いながら、同時にその先を想像するしかない。大沢は、画面の中で「見えないこと」を主題化し、視覚芸術の本質的問題――すなわち可視と不可視の境界――を問い直している。
光の描写もまた、この作品の構成を支える重要な要素である。夏の日差しの下、岩は濃い影を落とし、人物たちは明るく照らされている。とくに目を引くのは、少女の朱色のワンピースである。岩の灰褐色や空の淡い青との対比により、この赤は画面の中で強い視覚的アクセントとなる。しかしその鮮やかさは、開放感を与えると同時に、どこか孤立した印象をも残す。光が強まるほど影は濃くなり、色の明るさがかえって不安を引き立てる。この明暗の対比が、作品全体の心理的振幅を支えている。
大沢昌助は戦前期、二科会で活動し、人体の構造的把握に優れた画家として知られた。《岩と人》でも、少年や男たちの肉体には古典的な均整が宿る。筋肉の隆起は控えめで、しかし確かな立体感をもって描かれ、画面に安定をもたらす。この古典的プロポーションへの志向は、1930年代後半の「古典回帰」的傾向と軌を一にするものだ。社会が混乱へと向かう中で、芸術においても「秩序」と「健全さ」を求める動きが広がっていた。
だが、大沢の描く均整は単なる理想化ではない。岩によって分断された人物群、方向の定まらぬ視線、そして棒を持つ男たちの行為の不明瞭さが、均整の裏に潜む不確かさを際立たせている。男たちの棒が何を意味するのか――労働の道具なのか、遊戯の一部なのか、それとも儀式的なものなのか――作品は沈黙を守る。この曖昧さが、画面を説明的な物語から遠ざけ、観者の想像を促す余白として機能している。
1940年という時代背景を踏まえれば、この沈黙の意味はさらに深く響く。当時の美術界は、国家総動員体制のもと、展覧会や作品においても「健全」「明朗」「建設的」といった価値が強調されていた。人物画には健康な肉体、自然との調和、労働への献身といった主題が求められた。しかし、《岩と人》はその表面的な「健全さ」の内側に、別の層を隠している。岩によって視界が遮られる構図は、社会の閉塞を象徴するようでもあり、人物たちの視線の行方不明は、未来の不透明さを暗示するかのようだ。
大沢は、当時の画壇の要請に従いつつも、その中に個人的な感覚と問題意識を忍ばせた。健康的な若者の肉体と強い光の描写という表層的要素の裏に、「見えないものへのまなざし」というもう一つのテーマを潜ませたのである。彼の筆致は、時代の光と影の両方を画面に留めることに成功している。
《岩と人》の鑑賞体験は、見ることの快楽ではなく、「見えないこと」の余韻によって成立している。岩の向こうに何があるのか、人物たちは何を見つめているのか――その問いに答えはない。しかしその不在こそが、作品を成立させている。観者は視線を投げかけながらも、決して到達できない領域を感じ取り、想像の中でそれを補完する。そこに、絵画という静止した表現がもつ「時間の継続」が生まれる。
《岩と人》は、風景や人物を描きながら、同時に「視ること」の構造そのものを描いた作品である。光と影、可視と不可視、安定と不安――それらが均衡を保ちながら共存している。この静謐な画面に漂うわずかな緊張が、1940年という時代の真実を語っている。岩は単なる自然物ではなく、見えないものへの境界線であり、人間の認識の限界を象徴しているのだ。
80年以上の時を経た今日でも、《岩と人》は見る者の想像力を挑発し続ける。大沢昌助は、戦時下という制約の中で、風景と人間のあいだに潜む「沈黙のドラマ」を描き出した。彼の筆が生み出したその静けさは、時代を超えてなお、私たちに問いかける――
「見えないものを、あなたはどのように見るのか」と。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)






この記事へのコメントはありません。