【さくらんぼ】髙島野十郎ー福岡県立美術館所蔵

孤独の果実、光の祈り――髙島野十郎《さくらんぼ》に見る静寂と生命の寓意
髙島野十郎(1890–1975)。その名は、近代日本洋画史の中でいまだ孤高の輝きを放っている。画壇との関わりを自ら断ち、展覧会出品も最小限にとどめ、ひたすらに「光」を描くことに生涯を費やした画家。彼の作品には、社会的成功や名声を求める姿勢は微塵もなく、むしろ孤独のうちに世界の真理を凝視する求道者の面影が宿る。
代表作《蝋燭》に象徴されるように、野十郎が探求したのは「ものを照らす光」ではなく、「存在を照らし出す光」であった。その光への執念は、彼が晩年に描いた静物画にも受け継がれている。その中でも《さくらんぼ》(1956年頃)は、果実というありふれた題材を通じて、光と影、生と死、孤独と群れ、沈黙と祈りをめぐる深い省察を結晶させた一作である。
画面に描かれるのは、純白の台の上に置かれた数粒のサクランボ。それだけだ。背景も、皿も、花もない。きわめて簡潔な構図が、かえって強烈な緊張感を生み出す。赤い粒は互いに寄り添いながらも、いくつかはぽつりと離れて散らばっている。その配置は自然の偶然性を装いつつも、画面全体の均衡を精緻に計算したものだとわかる。密集と孤立、秩序と自由――その対比の中に、生命のリズムと画家の生き方が重なり合う。
野十郎が終生、社会や画壇から距離を置き、自らの内なる光に殉じたことはよく知られている。そうした孤高の生き方が、この小さな果実の配置に象徴的に表れている。群れる実は豊穣や生の歓びを示し、孤立した一粒は、他者との断絶を背負いながらも、なお世界とつながろうとする存在の象徴である。サクランボの赤は明るくもあり、どこか切実な哀しみを帯びている。
注目すべきは、その光の描写である。果実の表皮に反射する微細な輝き、茎の下に淡く落ちる影――そのすべてが、単なる写実を超えて、「光そのものの在り方」を問う絵画的実験になっている。野十郎にとって光とは、対象を明るく見せるための手段ではなく、世界の根源的な力であり、存在の証明であった。彼はサクランボ以外の要素を徹底して排除し、白という「無」の空間の中に、光と物質の交錯を純粋な形で提示した。
白い台は、まるで祭壇のようでもある。その上に置かれた赤い果実は、供物のように沈黙している。赤は血の色、生の色、そして犠牲の象徴でもある。ここには宗教的な象徴性がにじむ。野十郎は特定の信仰を語ることはなかったが、その作品には常に祈りにも似た精神性が漂う。《さくらんぼ》もまた、光の前に差し出された一粒の魂のように見える。
赤と白という単純な色の対置は、画面に強烈な象徴性をもたらしている。白は無垢、静寂、永遠。赤は情熱、生命、瞬間。雪の上に滴る血潮のように、そのコントラストは美しくも痛切だ。野十郎がしばしば訪れた山形――雪と光の土地――の記憶が、この色彩の根底にあると考えるのも自然だろう。サクランボの赤は、雪国の白と響き合い、冬と夏、生と死、静と動の循環を暗示している。
この作品が描かれた1950年代半ば、野十郎は千葉県柏の田園に移り住み、ほとんど隠遁者のような生活を送っていた。晴れた日は畑を耕し、雨の日には絵を描く――「晴耕雨描」。その静かな日々の中で、彼は世界の本質を見つめようとしていたのだろう。サクランボを白い台に置き、ひとつひとつの光を確かめながら描くことは、存在を凝視する行為そのものだった。孤立した一粒のサクランボは、孤独な画家自身の姿であり、同時に世界とわずかにつながろうとする希望の象徴でもある。
《さくらんぼ》は、西洋静物画の伝統を踏まえながらも、その枠を超えている。シャルダンやセザンヌが果実に物質と精神の均衡を求めたように、野十郎もまた「見えるものの背後にあるもの」を描こうとした。しかし彼のアプローチはより沈黙的であり、日本的な「間」の美学と呼応している。余白を活かした平面的構成は、観る者の感覚を内省へと導く。そこでは量感ではなく、存在の気配が支配する。
画面に広がる沈黙――それこそが《さくらんぼ》の核心である。赤い果実が放つ鮮烈な光よりも、むしろその周囲に漂う静寂こそが、絵の真の主題だ。時間が止まり、音が消え、ただ光だけが存在する。見る者はその沈黙の中に吸い込まれ、やがて「見る」という行為の根源に触れる。
髙島野十郎の《さくらんぼ》は、単なる静物画ではない。そこには、孤独な生涯を貫いた画家の精神と、光への祈りが凝縮されている。小さな赤い果実は、世界の断片でありながら、宇宙の真理を映す鏡のようでもある。
私たちがその赤を見つめるとき、そこにあるのは単なる果物の美ではなく、存在の深淵である。光と影の間に宿る静かな永遠――それこそが、野十郎が生涯をかけて描き出そうとした「光の真実」なのである。
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