
高島野十郎の作品
《イーストリバーとウィリアムズブリッジ》
―ニューヨークの工業都市像と異邦人の視線―
高島野十郎(1890年–1975年)は、いわゆる日本近代洋画史の中でも独特の位置を占める画家である。画壇や流行に背を向け、孤高の制作を貫いた姿勢は、死後に再評価されることとなったが、彼の作品には一貫して「時代の中で見過ごされがちな風景や光景に、異様な強度で迫るまなざし」が感じられる。その鋭敏な視線は、写実の精確さに加え、どこか冷徹なまでの観察眼と、暗鬱さすら漂わせる表現へと結実している。本作《イーストリバーとウィリアムズブリッジ》(1930年)は、野十郎がヨーロッパ留学へ向かう途上で寄港したニューヨークの風景を描いたものであり、まさに彼のその特質が端的に示される一枚である。
まず注目すべきは、題材の選択である。1930年当時のニューヨークといえば、第一次世界大戦後の繁栄を背景に、摩天楼が急速に建ち並び、世界都市としての姿を鮮烈に現しつつあった時代である。観光客や異邦人がこの街を訪れたならば、誰もがまずエンパイア・ステート・ビルやクライスラービルに代表される高層建築群に目を奪われたであろう。しかし野十郎はその「華やかさ」には向かわず、むしろ都市の背後でうごめく工業的現実、すなわち港湾を行き交う汽船の煙、川面に漂う煤煙、そして空気全体を覆うスモッグといった要素を捉えている。これは、都市の表層的な記号に酔うことなく、その実相を凝視しようとする画家の眼差しを示している。
画面構成を見れば、イーストリバーの奥にアーチ状のウィリアムズバーグ橋が横たわり、前景には水面と船舶が配置される。構図は一見穏やかだが、そこに漂う空気は透明ではなく、煙と靄によって全体がくぐもっている。つまり、画家は「景観の骨格」としての橋を明確に据えながらも、その印象を決定づけるのはむしろ煙やスモッグの存在である。近代都市の象徴である橋や船舶は、晴れやかな進歩のシンボルとして描かれるのではなく、煤煙に包まれた現実の中で捉えられているのだ。
ここには、野十郎がかねてより抱いていた近代文明への批判的な距離感が透けて見える。彼の代表作としてしばしば言及される《蝋燭》シリーズにおいても、暗闇の中で小さな炎が孤独に燃える姿は、人間存在のはかなさと文明の不安定さを象徴しているとも解釈される。同じ眼差しが、このニューヨーク風景にも宿っている。煙を吐き出す船舶は、工業力と輸送力の象徴であると同時に、自然環境を侵食する破壊の力でもある。野十郎は、それを憂うのではなく、むしろ「事実」として凝視する。そこには倫理的判断を超えた、冷ややかで徹底的な観察者としての姿勢が表れる。
さらに注目すべきは、この絵が「旅の途上の一枚」であるという点だ。日本からヨーロッパへと向かう画家にとって、ニューヨークはあくまで経由地でしかなかった。しかし、その短い滞在の中で、彼は摩天楼の表層的な輝きではなく、川辺に漂う煙を描いた。これは一過性の印象に基づくスケッチではなく、むしろ彼が後年まで繰り返し描いた港湾風景の始点ともなりうる「決定的なまなざし」であった。野十郎は同じ構図をわずかに変えつつ複数描いているというが、それは彼にとって「煙に包まれた都市」というイメージが強烈に焼き付いていたことを物語る。
このような視線は、同時代の他の日本人画家のアメリカ体験と比較するとき、際立った特異性を帯びる。たとえば1920年代から30年代にかけて渡米した画家の多くは、ニューヨークの摩天楼や近代的都市景観を新奇な題材として積極的に取り入れた。そこには、西洋文明の先端を「進歩」の象徴として受け止める眼差しがあった。しかし野十郎は、それを描かずに工業的な風景を選んだ。彼の筆致は単なる写実を超え、むしろ煤煙の質感を絵肌に滲ませることで、ニューヨークという都市の「呼吸」をとらえている。
こうした態度は、ヨーロッパ近代絵画との接点を考える上でも興味深い。19世紀後半以降の印象派や象徴主義の画家たちが光や色彩の変幻を探求したのに対し、野十郎は「光を濁らせるもの」にこそ関心を示した。スモッグや煙といった存在は、都市の進歩の裏側に潜む「影」を可視化するものであり、それを正面から描こうとする姿勢は、彼を単純な写実主義者以上の存在にしている。むしろ彼は、社会の中で見過ごされる「陰影」に美的価値を見いだした、異端のリアリストであったといえよう。
加えて、《イーストリバーとウィリアムズブリッジ》は、1930年代という時代状況とも無縁ではない。世界恐慌が勃発したのは1929年秋であり、野十郎がニューヨークを訪れた1930年2月は、その余波が全米を覆いはじめた時期にあたる。失業者が街にあふれ、都市の華やかな表層の下で深刻な不安が広がっていた。画家自身がどこまでその社会的危機を認識していたかは不明だが、少なくとも彼が描いた「煤煙に曇る都市の風景」は、経済成長の光の裏に潜む影を象徴的に写し取っていると考えられる。
絵画表現として見れば、筆致は過度に装飾的ではなく、むしろ冷静で克明である。しかしその抑制の中に、野十郎独自の緊張感が潜む。煙やスモッグは画面に溶け込み、空気そのものを重苦しく変質させる。空の青さはかき消され、全体は灰色がかった色調に支配されている。この色彩感覚は、のちの《月》や《蝋燭》の作品群に通じる「暗さ」の美学と連続している。野十郎にとって、光は常に闇と対峙するものであり、その対立が絵画に緊張をもたらすのだ。
総じて、《イーストリバーとウィリアムズブリッジ》は、単なる旅情画でも記念的風景画でもない。それは、異国の都市を見つめる画家の冷徹な眼差しが凝縮された一枚であり、同時に彼の芸術観を象徴する作品でもある。摩天楼のきらびやかなシンボルに目を奪われることなく、煙と煤にまみれた港湾を描くことで、野十郎はニューヨークを「工業都市としての現実」において捉えた。そしてその視線は、近代文明への批判的距離感と、孤高の芸術観とを見事に重ね合わせる。
今日、我々がこの作品を目にするとき、それは単なる「ニューヨークの風景」ではなく、「都市文明の影」を凝視する画家の眼差しとして立ち現れる。煙にかすむ橋と川は、進歩と繁栄の象徴であると同時に、人間社会が抱える矛盾や不安をも暗示する。高島野十郎という画家の孤独な視線は、この1930年の一瞬を通じて、私たちに近代都市の二重性を鋭く突きつけているのである。
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