
トマス・サリーの作品《デラウェアの通過》
アメリカ独立戦争をめぐる歴史的イメージの中で、ジョージ・ワシントンの姿ほど国民的記憶に深く刻まれたものは少ない。特に、1776年12月25日の夜から翌26日にかけて、ワシントン率いる大陸軍がクリスマスの氷結したデラウェア川を渡り、ニュージャージー州トレントンのヘッセン兵を奇襲して勝利を収めた「デラウェア川渡河」は、敗色濃厚だった独立戦争を一挙に立て直す転機として伝説化した。本稿で扱うトマス・サリーの《デラウェアの通過》(1819年制作、ボストン美術館蔵)は、この出来事を主題としたアメリカ初期の歴史画のひとつであり、後にエマヌエル・ロイツェ(Emanuel Leutze, 1816–1868)が描いた巨大キャンバス《ワシントンのデラウェア渡河》(1851年、メトロポリタン美術館)とともに、この歴史的瞬間を美術の中に定着させる役割を果たした。
トマス・サリーとその時代背景
サリーはイギリスで生まれ、幼少期に家族とともにアメリカへ移住した肖像画家である。彼はフィラデルフィアを拠点とし、アメリカ建国期の市民や著名人を数多く描いた。彼の画風はイギリス肖像画の伝統、特にトマス・ローレンスやジョシュア・レイノルズの流麗な筆致を受け継いでおり、同時代のアメリカ社会にとって「市民の気品」や「国家の威信」を可視化する役割を担ったといえる。
1819年という制作年は、ちょうどアメリカが独立戦争から数十年を経て、国家としての自意識を確立しつつあった時期にあたる。この年はまた、モンロー大統領の「善意の時代」に象徴される国内統合の雰囲気が広がりつつも、奴隷制をめぐる分裂が顕在化し始める前夜でもあった。こうしたなかで、ワシントンを中心とした独立戦争の英雄的記憶を呼び起こすことは、統一国家としてのナショナル・アイデンティティを形成するうえで強力な象徴となった。サリーが《デラウェアの通過》を描いたのも、こうした時代的要請と密接に結びついている。
構図と人物配置
サリーの《デラウェアの通過》は、後のロイツェ作品と比較すると規模は小さいが、構図はすでに英雄的なドラマを意識したものである。画面中央には、立ち上がって遠方を見つめるワシントンの姿が据えられている。彼は軍服に身を包み、毅然とした表情を浮かべ、氷塊が浮かぶ水面を背景にシルエットを際立たせる。この「立つワシントン」のイメージは、後のアメリカ絵画に繰り返し現れるパターンであり、サリーがその先駆的な形を提示したといえる。
ワシントンの周囲には、漕ぎ手や兵士たちが配置され、寒風に耐えながらオールを握り、川を渡る緊張感が漂う。彼らの表情は苦悶に満ち、しかし同時に指導者への信頼を込めて前進している。つまり、ワシントンの英雄的姿は、兵士たちの労苦と対照をなしながら際立たされているのである。
光と色彩の処理
サリーはイギリス的ロマン主義の影響を受けた画家であり、本作にもその特徴が認められる。彼は画面全体をくすんだ冬の色調で統一しつつ、ワシントンの姿を照らし出す光を巧みに操作している。ワシントンの顔や軍服の一部に差し込む光は、まるで彼を歴史的使命を帯びた人物として象徴化するかのようである。光は自然描写の写実を超えて、政治的寓意を担う「象徴の光」として機能している。
歴史的真実と美術的誇張
実際のデラウェア川渡河は、夜陰に乗じて行われた困難な作戦であり、氷点下の吹雪と暗闇に包まれていた。歴史家の記録によれば、兵士たちは飢えと寒さに苦しみ、ワシントン自身も命がけの行軍を強いられた。しかしサリーの絵は、その悲惨さを前景化するのではなく、むしろ象徴的・理想化された英雄像を提示する。
ここには、歴史的真実よりも「歴史が果たすべき機能」への自覚がある。つまり、サリーにとって重要なのは、アメリカ国民がワシントンに「試練を乗り越える指導者の姿」を見出すことだった。この意味で、《デラウェアの通過》は史実の記録ではなく、歴史的神話を美術的に形成する装置であるといえよう。
比較対象としてのロイツェ作品
後にロイツェが描いた《ワシントンのデラウェア渡河》(1851年)は、はるかに巨大なスケールと劇的な演出で知られるが、そこに見られる「立ち上がるワシントン」「凍てつく川」「多様な兵士の姿」といった要素は、サリーの作品にすでに萌芽的に表れている。ロイツェ作品がドイツ浪漫主義的な劇場的効果を追求したのに対し、サリーの絵はより抑制され、肖像画家としての性質が強い。つまりワシントンの「顔」や「人格」の表現に重点が置かれている点が、両者の決定的な違いといえるだろう。
国家アイデンティティと美術の機能
《デラウェアの通過》を理解するには、当時のアメリカにおける歴史画の位置づけを考える必要がある。18世紀末から19世紀初頭にかけて、アメリカではヨーロッパの歴史画伝統を受容しつつ、それを新国家のために応用する試みがなされた。サリーの作品はまさにその嚆矢であり、肖像画的リアリズムと歴史画的寓意を融合させ、建国神話を可視化した点において画期的であった。
この作品はまた、単なる「過去の記憶」ではなく、「未来への信念」を描いたともいえる。国民が危機に瀕しても団結し、指導者の下に前進すれば勝利が得られる、という寓意は、1819年という国家の成熟期にこそ強く求められていた。美術が政治的統合の道具となることは、ヨーロッパの宮廷絵画においても見られたが、アメリカの場合、それは共和主義的な「国民的英雄像」として表現される点で独自性を帯びている。
サリーの《デラウェアの通過》は、後世の巨大な歴史画に比べれば知名度は劣るかもしれない。しかし、その意義は「アメリカ的英雄像の定型化」にある。ワシントンを船上に立たせ、冷気に抗いながらも未来を見据える姿を描いたサリーの構想は、後のアメリカ美術における「英雄的ワシントン像」の源泉のひとつとなった。
結語
トマス・サリーの《デラウェアの通過》は、1819年というアメリカ国家形成期に描かれた歴史画であり、ワシントンの英雄的姿を通じて国民的アイデンティティを構築しようとする企図に満ちている。史実を忠実に再現するよりも、むしろ象徴化・神話化することで「国民が信じるべき物語」を提示する本作は、美術が政治的機能を果たす典型例といえる。
後世、ロイツェらがさらに壮大な歴史画で同主題を展開する以前に、サリーはすでにワシントンの姿を「歴史的英雄」として造形し、アメリカ美術の方向性を示した。その意味で《デラウェアの通過》は、アメリカにおける歴史画の原点的作品として再評価されるべき存在である。
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