【黒い花】松本竣介ー東京国立近代美術館

【黒い花】松本竣介ー東京国立近代美術館

松本竣介《黒い花》

青の深淵と都市の孤独

1940(昭和15)年に制作された松本竣介《黒い花》は、東京国立近代美術館に収蔵される同時代の都市絵画の中でも、特異な存在感を放つ作品である。油彩でありながら、絵肌は厚塗りの重々しさとは無縁で、むしろ透明感を宿す。その印象を決定づけるのは「青」である。しかし、この青は単色ではない。白や緑、わずかな黄土色などが、極めて薄く、半透明の層として幾重にも重ねられているため、単なる青ではなく「深みのある青」として画面に響くのだ。

色彩の重なりが生む深度

松本は、青い色面を一度で塗り切るのではなく、グレーズ技法に近い方法で、何層にも塗膜を積み重ねたと考えられる。その各層はごく薄く、下層の色を透かして見せる。たとえば、最下層に置かれた白は、上から青を重ねられることで冷ややかな明度を保ち、さらにその上に緑や灰色を薄くかけることで、青の温度が微妙に変化していく。これらの層が、画面に「奥行き」と「時間の堆積」をもたらしている。

この方法は、単に視覚的な効果だけでなく、心理的な感覚にも作用する。観る者は、青の奥へと吸い込まれていくような感覚を覚えると同時に、その奥行きの中にあるわずかな濁りや揺らぎから、静かな不安や孤立感を読み取る。ここに松本竣介の青が「美しい」だけで終わらない理由がある。

線と色面の関係の逆転

一般的な描画手順では、輪郭線を先に引き、その内側に色を塗り込めていく。しかし《黒い花》では、この順序が逆転している。松本はまず色面を置き、その上から線を引く。この線は、下層の色を切り裂くようでもあり、同時にそこに新たな「層」を形成する要素でもある。

この方法によって、線は輪郭を規定する単なる境界ではなく、色面と同等の存在感をもつ造形要素に昇格する。線は時に断片的で、時に重く、時に消え入りそうで、都市に生きる人々の関係性や距離感を暗示する。色と線が並列的に存在することで、画面は二重の構造を持ち、鑑賞者はその間を視線で行き来することになる。

「層」の物質性と心理的距離

層の重なりは物質的であると同時に心理的でもある。《黒い花》に描かれる人物や街の気配は、物理的には近くにありながらも、心理的には遠く隔たっている。その距離感は、透明な層と層の間に空気のように挟まれた「間」によって表現される。

松本が活躍した1940年前後は、日中戦争が泥沼化し、日本国内でも統制や検閲が強まりつつあった時代である。都市生活は急速に無機質化し、人々は表面上の交流を保ちながらも、内面では孤立を深めていた。この作品の層構造は、そのような時代の空気を象徴的に映し出している。

《黒い花》の題名に潜む象徴

題名にある「黒い花」は、画面のどこかに写実的に描かれているわけではない。むしろ、この黒は青に溶け込み、あるいは線や陰影に潜むかたちで存在する。黒い花は現実の植物ではなく、都市に咲く「孤独」や「沈黙」の隠喩である可能性が高い。

花という本来生命感に満ちたモチーフが「黒」で表されるとき、それはすでに衰退や終焉の気配を帯びる。青と黒の混じり合う画面は、その両義性——美と死、希望と絶望——を孕んでいる。

松本竣介の青の系譜

松本竣介は、青を主体とした作品を数多く残している。例えば《Y市の橋》(1940年)や《街》(1941年)などでは、青が都市の冷気や人間関係の希薄さを象徴する重要な役割を果たしている。しかし《黒い花》の青は、それらに比べてもより深く、より内向的である。

この変化は、彼の画業の中で、人物像から都市景観、そして心理的風景へと移行していく過程における一つの到達点と見ることができる。透明層の多用は、彼が対象を物理的に描く以上に、その精神的な層を描こうとしたことを示している。

画面構成と視線の動き

《黒い花》の画面は、一見すると平面的に見えるが、層の重なりによって複数の視覚的な奥行きを持つ。視線はまず青の広がりに吸い寄せられ、次にその上に置かれた線に導かれ、再び奥へと戻っていく。この往復運動が、鑑賞体験を静かに持続させる。

構図的には、中心に重量を置かず、やや不安定なバランスを保っている。これにより、画面全体が微かに揺れているような感覚が生まれ、都市生活の不確かさが視覚化される。

時代背景と制作態度

1940年という年は、日本の美術界においても特別な緊張感が漂っていた。自由な表現は制限され、戦争画や国策に沿った作品が奨励される中で、松本竣介は都市の片隅に潜む人間の孤独を描き続けた。《黒い花》はその抵抗の一形態であり、時代の大声に対して、静かな低音で応答する作品といえる。

青の層、黒の影、線の断片。それらはすべて、直接的な批判やメッセージを避けながらも、時代の重圧と個人の感情の隔たりを確かに刻み込んでいる。

鑑賞者への作用

《黒い花》を前にすると、鑑賞者はまず色彩の美しさに惹かれ、その後、静かで冷たい空気に包まれるような感覚に気づく。層を透かして見える下層の色は、過去の記憶や消えかけた感情を想起させる。線は視線を留め、また切断する。その往復の中で、観る者は自分自身の内面の層をも探ることになる。

《黒い花》は、単なる青の絵ではない。層の構造、線と色面の関係、時代背景、そして題名の象徴性が絡み合い、都市の孤独と人間の心理的距離を描き出している。松本竣介がこの作品で成し遂げたのは、色彩と線を媒介にした「精神の風景画」とでも呼べる表現であり、それは80年以上を経た今日でもなお、私たちの感覚を深く揺さぶり続けている。

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