【雪景色】佐伯祐三ー東京国立近代美術館所蔵

【雪景色】佐伯祐三ー東京国立近代美術館所蔵

佐伯祐三《雪景色》——厚塗りの激情と冬の沈黙
1927年(昭和2年)に制作された佐伯祐三《雪景色》は、東京国立近代美術館に所蔵される彼の代表的な油彩作品のひとつである。タイトルこそ簡潔に「雪景色」と記されているが、この一作は単なる冬景の写生にとどまらず、画家が20世紀初頭の西洋絵画の革新と真っ向から向き合い、それを自らの語法へと取り込もうとした格闘の痕跡を、画面全体に刻み込んでいる。本稿では、その構図、筆致、色彩、そして美術史的背景を順にたどりながら、この絵画の魅力と射程を批評的に掘り下げてみたい。

高い地平線——画面の構造的緊張
《雪景色》の第一印象は、まず構図における独特の重心配置にある。地平線が非常に高く設定され、画面の下三分の二を、何の遮るものもない雪の野原——あるいは校庭のような平坦な地面——が占めている。これにより、観る者の視線は水平線よりもはるかに低い地点から世界を見上げているかのような感覚に導かれる。通常、風景画では地平線は画面中央付近に置かれることが多いが、本作ではあえてそれを押し上げることで、手前の雪原が圧倒的な質量感をもって迫り出し、鑑賞者をその白い沈黙のなかへ呑み込もうとする。

この構図は、単なる写生上の偶然ではない。佐伯がこの時期に親しんでいたポスト印象派やフォーヴィスムの画家たち——たとえばモーリス・ド・ヴラマンクやアンドレ・ドラン——もまた、高い地平線と大胆な前景の占有によって画面の迫力を高める手法を用いていた。佐伯はそれらを自分の眼差しに通し、日本の風土や自らの感情の起伏と結びつけて再構成している。
厚塗りによる「同語反復」
本作で最も特筆すべきは、雪の表現である。画面の大半を占める雪は、純白一色ではなく、茶や灰色を交えた複雑な色調で構成されている。白と茶色の油絵具が厚く塗り重ねられ、乾かぬうちに筆先やペインティング・ナイフで境界をなすって、互いの色が半ば混ざり合い、半ば反発しあう独特のグラデーションを生み出している。そこには、べちゃべちゃとした泥混じりの雪を、まさにべちゃべちゃとした絵具の質感で描くという、いわば「同語反復(トートロジー)」的な手法が見られる。

この「同語反復」は、単なる遊戯的な仕掛けではなく、物質と表現との同一化を目指す強い意志の現れである。雪という対象を、光や色の抽象的効果ではなく、その物質感・重量感・冷たさを直截的に伝えるために、画材そのものの物理的存在感を前面に押し出す——この姿勢こそ、佐伯が西洋近代絵画の文脈に接し、独自に咀嚼した表現方法だった。

「厚塗り=激情系」の系譜
佐伯の厚塗りは、日本洋画史の中でしばしばファン・ゴッホの影響と並べて語られるが、《雪景色》ではそれに加えてフォーヴィスム(野獣派)の系譜が色濃く表れている。フォーヴィスムは1905年のサロン・ドートンヌにおいて衝撃的に登場し、鮮烈な色彩と荒々しい筆致で風景や人物を描き、観念的な構図よりも感情の爆発を重視した。ヴラマンクの冬景色に見られる泥濘(ぬかるみ)や重い空気感は、《雪景色》の質感表現と響き合うものがある。

日本では、印象派の繊細な筆致が大正期まで洋画の主流だったが、1920年代に入ると、パリで直接フォーヴィスムやポスト印象派を見た画家たちが帰国し、その「厚塗り=激情系」の表現を持ち込んだ。佐伯はその最前線に立ち、単なる模倣を超えて、自らの感情や記憶と結びつけた筆触を築き上げた。

モティーフとしての冬
《雪景色》に描かれた場所は明確には特定されていないが、地面の広がり方や背後の建物の形状から、学校の校庭か、郊外の広場である可能性が高い。いずれにせよ、この風景は人の姿を欠き、静まり返った冬の空気を画面に湛えている。しかし、この「静けさ」は表層的なものであり、雪の下には泥や氷が潜み、厚塗りの筆致はむしろそのざらつきや不安定さを強調している。冬という季節の持つ厳しさ、あるいは画家自身の心象の翳りが、この雪原の重たさに凝縮されている。

興味深いのは、同時代の日本画における雪景表現——たとえば横山大観や川合玉堂の描く薄墨の雪——とは対照的に、本作がきわめて物質的で、湿った雪の感触を直接的に伝えてくる点である。ここには、西洋の油彩技法を武器に、従来の日本的な「風情ある雪景」を意識的に拒否しようとする意志が読み取れる。

佐伯の1927年と《雪景色》の位置
1927年は、佐伯にとって二度目の渡仏の年であり、健康を害しながらも制作に没頭した時期である。彼は前年からパリ郊外の風景や街角を精力的に描き、厚塗りの筆致をさらに推し進めていた。本作の雪景色も、そうした試行錯誤の延長線上にある。フォーヴィスム的な色彩感覚と、対象の物質感を強調する厚塗り技法は、この年の佐伯の制作全体を貫く特徴であった。

この作品は、同年の他の街景や建物の画と比べても、色彩は抑制されているが、そのぶん質感表現が前面化し、筆触が持つ感情的なエネルギーが雪の中に封じ込められている。パリの華やかな都市風景ではなく、あえて無人の雪原を選んだことは、佐伯の内面の孤独や緊張感を示唆しているのかもしれない。

厚塗りと時間性
厚塗りの油絵具は、描く行為そのものの痕跡を強く残す。筆やナイフの通った跡は、その瞬間の速度や力加減を可視化し、乾くまでの時間の中でわずかに変化していく。雪という、降って積もり、やがて溶ける運命にあるものを、こうした物質的な「時間の層」によって描きとめることは、冬景を描くためのきわめて詩的な方法である。画面上の雪は静止して見えるが、その厚みの中には画家の手の動き、絵具の湿り気、乾燥の過程が封じ込められている。

結び——冬の激情
《雪景色》は、一見すると地味な色調の風景画でありながら、その内部には佐伯祐三の絵画観と感情の激しさが凝縮されている。高い地平線による構図の緊張、物質としての雪を描く厚塗りの同語反復、フォーヴィスムから受け継いだ激情の筆致——これらが重なり合い、観る者に単なる冬景以上の迫力を伝えてくる。

この作品は、佐伯が短い生涯の中で追い求めた「絵画とは何か」という問いに対する、一つの答えである。対象を写すのではなく、対象と同じ密度と重さを画面に出現させる——そのために絵具は厚く、構図は大胆で、色彩は感情のままに置かれる。《雪景色》の白と茶は、冬の静けさと、画家の胸中に燃え続ける激情とを、同時に語っている。

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