【長い髪の浴女】ルノワールーオランジュリー美術館所蔵

【長い髪の浴女】ルノワールーオランジュリー美術館所蔵

展覧会【ノワール×セザンヌ ―モダンを拓いた2人の巨匠】
オランジュリー美術館 オルセー美術館 コレクションより
会場:三菱一号館美術館
会期:2025年5月29日(木)~9月7日(日)


長い髪の浴女

ルノワールの筆が語る、静謐な歓喜

深紅のカーテンが緩やかに揺れる部屋の奥、そこに佇むのは、一人の女。彼女は裸身をさらし、長い髪を撫で下ろしている。まるで朝の静けさがそのまま人のかたちをとったかのように、彼女の存在は柔らかく、静かに、見る者の心を抱きしめる。この《長い髪の浴女)》は、ピエール=オーギュスト・ルノワールが1895年頃に描いた作品であり、現在はパリのオランジュリー美術館に所蔵されている。

この絵には、ルノワール晩年の特有のまろやかさ、豊かで輝かしい肌の色彩、そして何よりも女性の身体への愛情が余すことなく注がれている。だがこの作品は、単なる官能や美の賛美にとどまらない。そこには画家が晩年に到達した「画家としての祈り」が込められているようにも見える。

湯気と光と、まどろむ午後のように
ルノワールの「浴女」たちは、時に川辺に、時に浴室に、あるいは室内に現れる。だがいずれにおいても、彼女たちはどこか夢の中にいるかのようだ。この《長い髪の浴女》においても、背景は曖昧で、まるで現実の一場面を切り取ったというよりは、心象風景のように描かれている。

光は柔らかく、空気はとろけるように温かい。モデルの髪から滴り落ちる水滴は描かれていないが、それがあるかのような湿度と感触が、観る者の肌にすら伝わってくる。彼女の肉体は、まるで朝露を吸った花びらのようにしっとりと、光を受けて艶やかに輝いている。

彼女は今、何を思い、どんな夢を見ているのだろうか。描かれた瞬間は、私たちの時間とは異なる次元に属している。時間が静止し、空間が溶け、ただ「美」がそこにある。その静けさは、観る者に深い安らぎをもたらす。

絵筆が捉えた「女の時間」
「女の髪を梳かす時間には、特別なものがある」。これはある詩人の言葉だが、ルノワールも同様の感性を持っていたに違いない。この作品のモデルは、自らの髪に手を添えながら、静かに、そして少しだけうっとりとした表情を浮かべている。その表情に、我々は立ち入ることができない。なぜなら彼女は、完全に「自分自身の時間」に没入しているからだ。

そこにあるのは「見るために存在する身体」ではなく、「生きている身体」である。画家ルノワールは、そんな瞬間を、まるで祈るように絵筆で捉えた。無防備だがどこか高貴で、世俗のざわめきから遠く離れた静謐な領域——それが「長い髪の浴女」の時間である。

モデルの存在感には、演技や誇張が一切ない。それは、芸術家とモデルとの間に築かれた信頼関係の賜物でもあるだろう。画家は決して女性を「消費」しようとせず、ただその美しさに耳を澄まし、自然の延長としての身体を尊重する。

色彩という肌、光という呼吸
ルノワールの色彩感覚は、この作品において頂点を迎えている。彼は印象派の時代から一貫して、光のもとでの色彩の振る舞いを研究してきた。だが1890年代に入ってからのルノワールは、より古典的な造形感覚を志向し、しばしばルーベンスやティツィアーノに倣った豊満な女性像を描いた。

この作品でも、色彩はもはや対象の「写し」ではなく、それ自体が身体を構成する「もうひとつの肌」である。桃色やバラ色、象牙色、金色、そして微細な青や緑が織り込まれた肌の描写は、まるで呼吸するように画面に漂っている。彼女の身体のカーブに沿って、光は柔らかく溶け、影は深く沈んでいく。

絵の具の塗り方にも、ルノワールの手の温もりが宿っている。なだらかな筆致は決して鋭くなく、柔らかく、ゆったりとしたリズムを刻んでいる。肉体という自然のかたちを通じて、彼は「美」と「幸福」を一体化させようとしたのだ。

バーンズとギヨーム——もうひとつの絵画の旅
この作品に似たもう一つの《長い髪の浴女》は、現在アメリカのバーンズ財団に所蔵されている。その収集に貢献したのが、ポール・ギヨームである。ギヨームはオランジュリー美術館の創設者であり、若き日に詩人ギヨーム・アポリネールと親交を結び、現代美術の収集と紹介に尽力した人物でもある。

彼はルノワールの作品の価値を早くから見出し、フランス近代絵画を広く世界に知らしめる役割を果たした。そしてアルバート・C・バーンズは、20世紀前半のアメリカで最も情熱的なコレクターの一人として知られる。彼の強い審美眼と教育への志向は、今日のバーンズ財団にも脈々と受け継がれている。

ギヨームとバーンズ、そしてルノワール。この三者の交差点に置かれた「浴女たち」は、静かな絵画の中で、言葉を超えた対話を交わしている。そこには国境も、時代も、言語もない。ただ、「美しいものを見つめるまなざし」という一点でつながっているのだ。

展覧会という現在——私たちは何を受け継ぐか
2025年、東京・三菱一号館美術館にて開催された「ルノワール×セザンヌ――モダンを拓いた2人の巨匠」展では、この《長い髪の浴女》が展示され、多くの観客の目を惹きつけた。会場の柔らかな照明のもとで再び蘇る浴女のまなざしは、今の私たちにもやさしく語りかけてくる。

観客の一人ひとりが、この浴女の前に立ち止まり、ただじっと見つめる。その時、彼女の存在は再び「今」に息づく。美術館という静かな空間のなかで、鑑賞者は過去と現在のあいだを自由に行き来する旅人となる。まさに、芸術とは時間を超える体験なのだ。

さらに言えば、このような展覧会は、単に絵を見る機会というだけでなく、「受け継ぐ」という行為そのものの象徴でもある。かつてギヨームが見つめ、バーンズが信じたルノワールの美。それは今、私たちが引き継ぐべき文化の光である。

最後に——「見る」ことの歓び
ルノワールの《長い髪の浴女》は、決して大仰な構成や劇的な物語性を持たない。だがそれゆえに、この絵は「見る」という行為の本質的な歓びを、私たちに改めて教えてくれる。

見ることは、世界と自分をつなぐ最初の扉である。私たちが彼女を見つめるとき、彼女もまた、私たちの中の「静けさ」を見つめ返しているのかもしれない。ルノワールの絵筆が描いたこの浴女は、百年の時を超えてなお、私たちに語りかける——「美は、今ここにある」と。

美とは、感じ取る力であり、共鳴する心である。そしてその共鳴が、次の時代へと確かに渡されていく限り、芸術は生き続ける。この《長い髪の浴女》は、その静かな奇跡の証人なのである。

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