【ブルターニュの農場 A Farm in Brittany】ポール・ゴーギャンーメトロポリタン美術館所蔵

ブルターニュの記憶と楽園の狭間で
ポール・ゴーギャンの作品《ブルターニュの農場》
ポール・ゴーギャン(1848年–1903年)は、西洋絵画史において、「楽園の画家」としてよく知られている。タヒチをはじめとする南太平洋の島々において、豊かな色彩と象徴性に満ちた作品群を描き、19世紀後半のアカデミズムに反旗を翻した画家である。しかし、その「楽園」に至る前、ゴーギャンが幾度も訪れ、深く心を寄せていた土地があった。それが、フランス北西部に位置するブルターニュ地方である。
1894年に制作された《ブルターニュの農場》は、まさにそのブルターニュへの郷愁と芸術的探求が結晶した作品のひとつである。本作は、現在ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されており、彼のブルターニュにおける最後の滞在時に描かれたとされる。ここでは、この絵画を通して、ゴーギャンの芸術的変遷とブルターニュという土地の魅力を探ってみたい。
ブルターニュ:もう一つの“プリミティヴ”な世界
ゴーギャンは1886年に初めてブルターニュ地方のポン=タヴェンを訪れた。当時すでに都市化が進むパリを離れ、自然と素朴な生活が残る地方を求めていた彼にとって、ブルターニュの風土と文化は大きな魅力だった。ブルターニュは古代ケルト文化の名残をとどめ、キリスト教以前の民間信仰や神話的な世界観が色濃く残っていた地域である。こうした土着的な精神性や民族衣装に身を包んだ農民たちの姿、そして荒涼とした自然は、ゴーギャンの感性に強く訴えかけた。
ゴーギャンはこう述べている。「私は文明化された世界から逃れたい。ブルターニュは私にとって、ある意味、最初の“異国”だった」。つまり、彼にとってブルターニュは、南国の“楽園”タヒチへと続く芸術的冒険の入り口でもあったのだ。
作品に描かれた風景と主題
《ブルターニュの農場》は、木々に囲まれた素朴な農家の建物と、農作業を終えた人々の姿をとらえた作品である。画面の手前には草が生い茂り、奥には低い石造りの家屋が連なっている。屋根には苔や草が生え、自然との一体感を感じさせる。農場の中央には人物が描かれており、農作業の合間のひとときを過ごしているようだ。彼らの姿は小さく、風景に溶け込むように描かれている。
この作品における構図は比較的穏やかで静謐な印象を与えるが、注目すべきはその色彩である。赤茶けた屋根、濃緑の木々、黄土色の大地など、温かみのあるトーンが全体に広がり、自然と人間の調和がしみじみと伝わってくる。これらの色遣いには、すでにゴーギャンがタヒチ滞在を経て得た色彩感覚が表れていると指摘されている。
印象派から脱却するための模索
この絵画に見られる筆致や構成には、ゴーギャン初期の印象派的アプローチが混ざっている。草の描写や空のあしらいに見られる自由なタッチは、モネやピサロと共に過ごした時期を思わせる。しかしながら、印象派が一瞬の光や色彩の変化を追い求めたのに対して、ゴーギャンはより「内面的な真実」や「象徴的な世界」を表現しようとしていた。
そのため、彼はしだいに写実的な風景描写から離れ、よりデフォルメされた形態や平面的な色面構成を用いるようになっていく。《ブルターニュの農場》はその過渡期に位置する作品であり、印象派的技法と、後の「総合主義」(Synthetism)と呼ばれる彼独自の様式との折衷が見て取れるのである。
タヒチへの中継地としてのブルターニュ
この作品が描かれた1894年は、ゴーギャンにとって重要な転換点であった。彼はすでに1891年に初めてタヒチへ渡航し、そこで「文明から解き放たれた芸術」を模索していた。だが一時的にフランスに帰国し、健康の問題や経済的困難のなかで再出発を図る必要があった。そうしたなかで彼が再び訪れたのが、かつて親しんだブルターニュの地だったのである。
《ブルターニュの農場》は、その再訪時の成果であり、まさにタヒチと西欧のあいだに位置するような作品だと言える。そこには、かつての「未開の地」としてのブルターニュに対する郷愁と、タヒチで得た色彩や構図の革新が交錯している。
ゴーギャンの眼差しにあるもの
本作に描かれた農民たちは、決して個性的に描き分けられてはいない。それどころか、彼らは風景の一部として、自然と同じトーンで穏やかに溶け込んでいる。ここには、都市の喧噪や個の強調とは無縁の、共同体的な暮らしへの憧れがあるだろう。ゴーギャンはブルターニュの人々のなかに、近代社会が失ってしまった「自然との共生」や「信仰に基づいた生活」を見出していた。
また、彼の関心は風景や人々そのもの以上に、それが喚起する象徴性にあった。農場という主題は、単なる労働の場ではなく、「大地との結びつき」や「時間の循環」、「死と再生」といった深いテーマを内包している。ゴーギャンは写実的な描写ではなく、それらの精神性を抽出しようとしていた。
終章に寄せて:忘れられた土地の記憶
《ブルターニュの農場》は、後年のタヒチ作品に比べると知名度は高くないかもしれない。しかし、ゴーギャンの芸術的発展を知るうえで、極めて重要な位置を占める作品である。彼の芸術は「異国への憧れ」という単純な構図では語れない。実際、ブルターニュもまた、当時のパリ人にとっては「辺境」であり、「プリミティヴ」と見なされた土地であった。ゴーギャンはそのような場所を旅することで、「もう一つのリアリティ」に近づこうとしたのである。
そして、その旅路のなかで生まれたのがこの絵であり、それはまさに「二つの世界のあいだ」で揺れ動く芸術家の心の風景でもある。
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