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【自画像】エドガー・ドガーメトロポリタン美術館所蔵
- 2025/7/5
- 09・印象主義・象徴主義美術, 2◆西洋美術史
- Edgar Degas, エドガー・ドガ, フランス, 印象派
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若き日のまなざし —— エドガー・ドガの《自画像》をめぐって
フランス近代美術を語る上で欠かせない画家、エドガー・ドガ。バレエダンサーの連作や舞台裏の情景、女性の日常を切り取った作品で知られる彼ですが、実はその画業の初期においては、伝統的なアカデミズムの教育を受けながら、古典に根ざした作品を多く手がけていました。
そんなドガがキャリア初期に描いた約40点にもおよぶ自画像の中の一つが、現在ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている《自画像》(1855–56年制作)です。この絵には、若き日のドガの姿が、鋭いまなざしとともに、慎重に、そして確かな自負をもって描かれています。
本稿では、この《自画像》に表れた若き芸術家の内面と野心、時代背景、そしてドガの後のスタイルとの連続性について考察していきます。
「自画像」というジャンル
自画像は、芸術家が自らを描くという特異なジャンルです。単なる容姿の記録にとどまらず、その時代における自己の芸術観、社会的立場、心理状態、そして自意識までもが反映されるものです。
ドガはキャリア初期に、油彩、デッサン、エッチングなどさまざまな技法で自画像を制作しました。若き日の彼は、画家としての技術を高めながら、自分自身を描くことによってその進化のプロセスを記録しようとしたのです。《自画像》(1855–56年頃)は、そんな取り組みの一環として描かれた作品です。
この時期、ドガはまだ20代前半。エコール・デ・ボザール(フランス国立美術学校)での正式な教育を受けていたものの、まもなくそれを中断し、古典美術を直接吸収するためにイタリアへと向かいました。ちょうどその旅立ちの直前あるいはその頃に描かれたとされるのが、この自画像です。
絵の中の若きドガ:視線の力
この《自画像》に描かれたドガは、まだひげも生えていない若い顔立ちですが、その表情には明らかな知性と内省がにじみ出ています。頭部はやや斜めに傾けられ、視線はまっすぐこちら(観者)をとらえています。その目の強さは、自己を見つめるまなざしであると同時に、未来を見据える鋭い意志でもあるように感じられます。
口元はわずかに引き締まり、感情を抑えたような冷静さを感じさせます。この描写からは、若いながらもすでに自己をコントロールする力を身につけた人物像が浮かび上がってきます。後年、他者の内面を冷静に観察し、描写することに長けていたドガの芸術観の萌芽が、すでにこの肖像の中に表れています。
古典主義の修練とその超克
この時期のドガは、まだ印象派の旗手として知られる以前であり、むしろ伝統的な古典主義に強い傾倒を見せていました。特にイングレス(Jean-Auguste-Dominique Ingres)をはじめとする新古典主義の巨匠たちの影響が濃厚に感じられます。
《自画像》でもその傾向は明確で、構図のバランス、陰影の付け方、顔の輪郭のとらえ方には、アカデミックな訓練を受けた画家ならではの几帳面さと技巧が見てとれます。光と影の使い方も慎重で、彫刻的な立体感を意識した描写がなされています。
しかしこの絵には、単なる技術以上のものが宿っています。それは、伝統に対する尊敬と同時に、それを自らの手で乗り越えてゆこうとする芸術家の意志です。実際、この後ドガはイタリアを訪れ、ルネサンスの巨匠たちの作品に触れながらも、やがて「瞬間のリアリズム」とも呼ぶべき独自の表現に向かって歩みを進めていくのです。
旅立ちの肖像:イタリアへの決意
ドガがこの《自画像》を描いたのは、ちょうどエコール・デ・ボザールを離れ、イタリアへの長期滞在を計画していた頃でした。彼はそこでラファエロ、ミケランジェロ、ベッリーニなど、ルネサンスの巨匠たちの作品を研究し、その成果を大量のスケッチに残しています。
つまりこの自画像は、ある種の「旅立ちの記念碑」としての性格を帯びています。過去と未来の間に立ち、自らの姿を描き残すことで、自分が何者であるか、そしてこれから何者になろうとしているのかを見極めようとしたのではないでしょうか。
絵に見られる慎重で内省的な表情は、そのような決意と不安、期待と緊張が交錯する精神状態をよく反映しているように思われます。
後年との対比:描かれなくなった自分自身
興味深いことに、ドガはこの後、生涯にわたってあまり自画像を描かなくなります。若い時期には頻繁に自己を対象としたのに対し、成熟した後は、むしろ他者を描くことに情熱を傾けていきました。
この変化は、彼の芸術観の転換と深く関係しています。ドガは、芸術とは「観察すること」であると考え、画家は自己よりもむしろ他者や世界の細部にこそ注目すべきだと信じていたのです。
また、彼は年齢とともに視力を失い始め、自身の姿を正確にとらえることが難しくなっていったという現実的な要因もありました。それゆえ、この《自画像》は、ドガが自己の姿を積極的に描いていたごく限られた時期の貴重な記録であり、まさに「芸術家になる前の芸術家」の姿をとらえた作品なのです。
メトロポリタン美術館での存在感
この《自画像》は、現在ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵され、一般に公開されています。バレエやパステル画で知られるドガの中で、このように静謐で個人的な作品は、むしろ異色とも言えるでしょう。
しかし、そこにこそドガの芸術の原点があると言えます。この一枚の中に込められた自己への問い、内省の深さ、そして将来への静かな覚悟。そうしたものが、絵の前に立つ鑑賞者の心にじんわりと響いてくるのです。
ドガはこの絵の中で何を見ていたのか。自分自身の顔の中に、何を探していたのか。それはもはや答えられることではありませんが、その謎こそが、この《自画像》を今日まで魅力ある作品として生かし続けている原動力なのかもしれません。
おわりに:絵画が語る「若さ」と「可能性」
《自画像》(1855–56年頃)は、芸術家エドガー・ドガの出発点に立ち会うことができる、きわめて貴重な一作です。そこに描かれているのは、単なる若者の顔ではなく、内に熱を秘めた知性と、孤独の中でひとり立とうとする意志、そしてまだ見ぬ未来への静かな決意です。
この作品が今日まで私たちに語りかけてくるのは、芸術家が自分自身をどう見つめ、どう変わっていこうとしたのか、という普遍的な問いです。そして、その問いは、現代を生きる私たちにとってもなお有効なものであり続けているのです。
画像出所:メトロポリタン美術館
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