【レッスンの準備をする3人の踊り子(Three Dancers Preparing for Class)】エドガー・ドガーメトロポリタン美術館所蔵

エドガー・ドガは、19世紀フランスを代表する印象派の画家でありながら、その表現は印象派の枠を超え、古典と革新を融合させた独自の世界を築き上げた芸術家です。彼は風景画よりも人物、特に女性たちを好んで描き、なかでも圧倒的な数を誇るのが「踊り子(バレリーナ)」を主題にした作品群です。《レッスンの準備をする3人の踊り子》は、そんなドガの芸術的関心と視線が凝縮された一作といえるでしょう。
この作品は、1878年以降に制作されたとされるパステル画で、現在はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されています。舞台でもリハーサルでもなく、「レッスンの前」という一見地味で何気ない時間をとらえたこの絵は、ドガの美学と技術の粋が感じられる傑作です。
ドガが踊り子を描いた理由については様々な解釈がありますが、彼自身は「バレエは動きの研究のためにうってつけだ」と語っています。つまり、バレエは単なる舞台芸術としてではなく、人体の構造、動き、姿勢、重力との関係を分析するための最適な題材だったのです。
しかし、ドガが描いたのは煌びやかな舞台の瞬間ではありません。むしろ彼が執拗に描いたのは、練習前のストレッチ、気怠い休憩の姿勢、衣装の準備、無造作な会話──すなわち、バレリーナたちの「舞台裏」であり、「日常」でした。この作品もその典型であり、3人の若い踊り子たちが、それぞれの仕草でレッスンへの準備をしている様子が描かれています。
彼女たちは決して観客のためにポーズを取っているのではなく、自分自身のために、ルーティンとして動いています。そうした自然体の姿勢の中にこそ、ドガは美の本質を見出したのです。
《レッスンの準備をする3人の踊り子》においてまず注目すべきは、その構図の巧みさです。ドガはこの作品で、空間を大胆に切り取り、観る者をまるでその場に居合わせているかのような感覚へと誘います。
画面の左側には床に腰を下ろし、足を延ばした踊り子が描かれています。彼女は15歳のメリナ・ダルド(Melina Darde)をモデルにしたもので、1878年12月に制作されたデッサンが元になっているとされています。ドガはこのように、一度描いたモデルのスケッチやデッサンをストックとして蓄積し、そこから構成を組み立て、最終的な作品に応用する方法をとっていました。
この作品に登場する3人の踊り子も、それぞれ異なる時期のデッサンに基づいており、完全な一瞬のスナップショットというよりは、時間と記憶、観察の積層によって生み出された仮想的な瞬間といえるでしょう。
画面右手前の二人の踊り子は、立ったままストレッチをしていたり、肩の力を抜いていたりと、レッスン前の静けさと集中を感じさせる姿勢をしています。全体として、「動きの直前」の張り詰めた空気が画面から静かに伝わってくるようです。
ドガがこの作品で用いたのは「パステル」という画材です。これは粉末状の顔料を練り固めたもので、鮮やかな発色と即興的なタッチが特徴です。ドガは油彩やテンペラよりも、しばしばパステルを好んで用いました。特に、踊り子の軽やかな衣装や肌の質感、髪の柔らかさなどを表現するには、パステルの持つ繊細な発色と柔らかな筆致が最適だったのです。
この作品でも、背景にはおぼろげなグレーやくすんだ青が使われ、手前の踊り子のチュチュには淡いピンクや白が重ねられています。肌の表現には微妙なオークルやサーモンピンクが使われ、陰影は濃くならず、あくまで柔らかく空間を包み込みます。ドガは決して色彩を大げさに用いることなく、ごく自然な色調で人物と背景を一体化させているのです。
また、輪郭線は明確でありながら決して硬くなく、どこかで空気と溶け合うような軽やかさがあります。ドガの線は、対象を鋭く捉えると同時に、その瞬間がやがて消えゆく儚さをも感じさせるのです。
この作品は、観察された日常の一瞬を描いたように見えますが、実際にはドガが自身のストックにしていた数々のデッサンを組み合わせて構成された「再構成された現実」です。とりわけ座っている踊り子については、1878年のデッサンが直接的な出典とされています。
このような制作手法は、現代的にいえば「コラージュ的」とも言えるもので、ドガはスケッチや習作をもとに、最も効果的な構成を模索しながら作品を組み立てました。実際の時間の流れや空間の整合性を超えて、ドガ独自の「現実の再編集」が行われているのです。
また、この作品には異なるバージョンが存在し、そのうちのひとつは個人所蔵となっています。このことからも、ドガがこの主題に強い関心を抱き、繰り返し取り組んだことが分かります。
しばしば指摘されるように、ドガの作品には「盗み見ているような視線」が宿っています。それは必ずしも否定的な意味ではなく、観察者としての彼のスタンスが、決して対象に介入せず、距離を保ちつつその本質に迫ろうとする姿勢であったことを意味します。
この作品においても、我々観る者は、まるで壁の陰から静かにレッスン室を覗いているような気分になります。ドガは自らの芸術を通じて、観る者を「傍観者」ではなく、「観察者」として巻き込むのです。
この倫理的ともいえる距離感が、ドガの作品に独特の静けさと緊張感を与えています。それは絵画でありながらドキュメンタリーのようでもあり、詩のようでもあります。
《レッスンの準備をする3人の踊り子》は、観る者に劇的な感動を与える作品ではないかもしれません。しかしその静謐さ、均衡の取れた構図、自然な身振り、淡い光──すべてが密やかに、しかし確かな強さで語りかけてきます。
この絵の中にあるのは、「レッスンの前」という、誰にとっても取るに足らないはずの瞬間です。しかしドガの手によって、その瞬間は美と静けさ、そして永遠へと昇華されているのです。
ドガの眼差しを通して描かれた無名の少女たちの姿は、140年以上経った今も、私たちの心に深く響き続けています。それは、芸術が日常の中にこそ真の美を見出す力を持っていることの証明でもあるのです。
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