【『大戦 英国の努力と理想』黎明】オーガスタス・エドウィン・ジョンー国立西洋美術館所蔵
- 2025/5/11
- 2◆西洋美術史
- オーガスタス・エドウィン・ジョン
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『大戦 英国の努力と理想:黎明』は、オーガスタス・エドウィン・ジョンが第一次世界大戦の戦争宣伝局の依頼で制作したリトグラフ作品であり、イギリス政府が戦争の意義と戦意高揚を目的にして発表した一連の作品群の中の一枚です。この作品は、戦時中における理想的な未来を描き、戦争の困難な現実と、それに立ち向かうための希望を象徴的に表現しています。ジョンは、この作品において、母子像を繰り返し用い、特に「英国の理想」編における視覚的なメッセージを力強く伝えました。
第一次世界大戦中、イギリス政府は戦争遂行に向けて国民の士気を高めるため、さまざまな方法を駆使しました。その一環として、戦争宣伝局(War Propaganda Bureau)は国内の主要な画家やデザイナーを集め、戦争に関連するアートを制作させることを決定しました。このプロジェクトの目的は、戦争の正当性を訴えるとともに、国民に対して戦争努力を続ける必要性や、戦争終結後の理想的な世界像を描くことでした。ジョンをはじめとする画家たちは、戦争の厳しい現実やそれに立ち向かう英国の勇気を表現することを求められました。
このプロジェクトで制作された作品群は、66点におよび、いくつかのテーマに分けられました。「英国の努力」と「英国の理想」という2つのテーマに基づき、戦争遂行の現実とその理想的な未来像が描かれました。「英国の努力」編には、戦争に向けた準備や兵士の働きが描かれており、戦場の実際の描写を通じて、国民の奮闘を呼びかけました。一方、「英国の理想」編では、戦後における理想的な社会や、希望に満ちた未来を描くことで、戦争を乗り越えるための精神的な力を強調しました。『大戦 英国の努力と理想:黎明』は、この「英国の理想」編の作品であり、戦争の暗い現実に希望の光を差し込む象徴的な役割を果たしています。
オーガスタス・エドウィン・ジョンは、19世紀末から20世紀初頭のイギリスの画家であり、その作品は主に人物画、特に肖像画に重きを置いていました。彼は、若い頃から自由で反骨精神にあふれたアーティストとして知られ、その作品は非常に個性的で感情的な表現を特徴としていました。ジョンは、ビクトリア朝時代の伝統的なアートから解放され、より個人的で内面的な表現を追求しました。この時期、彼はボヘミアンとしての生活を送り、芸術界の枠にとらわれずに独自の道を歩んでいました。
しかし、第一次世界大戦が勃発すると、ジョンの芸術家としての役割は大きく変化します。戦争の影響を受けて、ジョンもまた戦時の政治的な動きに巻き込まれ、戦争宣伝局からの依頼を受けて『大戦 英国の努力と理想』のシリーズ制作に参加することになりました。戦争中、ジョンは戦場の現実を描くことは少なく、むしろ理想的なビジョンを描くことが求められました。彼の戦争宣伝アートには、戦争の悲惨さや暴力性を直接描写するのではなく、それに立ち向かうための希望や理想が前面に出ていました。
『大戦 英国の努力と理想:黎明』は、ジョンの作品の中でも特に注目される一作です。この作品において、ジョンは彼が繰り返し描いてきた母子像を使用し、家族の絆や新たな世代への希望を象徴的に表現しました。暗い雲と瓦礫が広がる荒れた大地に、光が差し込む瞬間を描くことで、戦争の混乱とそれに続く再生の兆しを強調しています。ジョンはこの光を「夜明け」として描き、戦争の終わりと平和な未来への道を暗示しています。この「夜明け」のイメージは、戦争という暗黒時代を乗り越えた後に訪れる明るい未来を象徴しており、イギリス国民に対して戦争の終息と希望を訴えかける強いメッセージを持っています。
また、母子像の使用は、ジョンの個人的なテーマとも密接に関係しています。母と子は、彼の作品においてしばしば重要な象徴として登場し、命の誕生や未来への期待を表現してきました。『黎明』における母子像は、戦争によって引き裂かれた家族の再生、そして新たな時代への希望を象徴しています。この描写は、戦争を乗り越えた後に訪れる平和な世界を強調するための視覚的手法として機能しています。
戦争宣伝アートは、戦争の正当化と国民の戦意高揚を目的としており、アーティストたちはそのメッセージを視覚的に伝えることを求められました。『大戦 英国の努力と理想:黎明』もその一環として制作された作品であり、戦時の社会的背景や政治的な動きに強く結びついています。この作品は、戦争の暴力性を直接描写することなく、希望と理想を象徴することで、国民に対して戦争を乗り越える力を与えることを目的としていました。ジョンの作品は、戦争の影響を受けた社会において、平和と再生の可能性を訴えかける重要なメッセージを持っていたといえるでしょう。
この作品が展覧会で展示された際、評判を呼び、戦時中の芸術活動の重要性を再確認させる結果となりました。ジョンの絵は、単なる戦争の宣伝にとどまらず、人々に希望を与える芸術的な力を持っていたため、多くの人々に感動を与えました。
『大戦 英国の努力と理想:黎明』を含む戦争宣伝アートの制作は、ジョンにとって芸術家としての転機となりました。戦争が終結した後、ジョンは再び肖像画家としての評判を確立し、その後のキャリアは肖像画家としての道を歩むことになりました。しかし、戦争による社会的な動きとその影響は、ジョンの芸術的なスタイルに深い印象を与えました。彼は、ボヘミアン的な自由な表現から、より社会的な役割を持つ芸術家へと変わり、戦後の新しい時代における肖像画家としての地位を確立していきました。
『大戦 英国の努力と理想:黎明』は、オーガスタス・エドウィン・ジョンの作品の中でも特に重要な位置を占める一枚であり、戦争の現実とその後に訪れる理想的な未来を視覚的に表現したものです。ジョンは、この作品を通じて、戦争という困難な時期を乗り越えた後に訪れる希望と再生を象徴的に描き、戦時中の国民に対して力強いメッセージを送りました。この作品は、戦争宣伝アートとしての役割を果たしながらも、同時にジョンの個人的な芸術的視点を反映した作品でもあります。
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