【流浪の民】オーガスタス・エドウィン・ジョンー国立西洋美術館所蔵
- 2025/5/11
- 2◆西洋美術史
- オーガスタス・エドウィン・ジョン
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オーガスタス・エドウィン・ジョンは、20世紀初頭のイギリスを代表する画家であり、その作品は彼自身の特異な人生観や社会的アウトサイダーへの深い理解に基づいています。特に「流浪の民」(1917年、リトグラフ)は、ジョンの放浪的な生活とロマ文化への強い関心を反映した重要な作品であり、その背後にある彼の個人的な経験や社会的視点について深く掘り下げることができます。
オーガスタス・エドウィン・ジョンは、ウェールズの工芸的な家系に生まれました。ロンドンの王立美術学校で美術を学び、初期の作品ではポートレートや風景画を多く手掛けました。彼のスタイルは、印象派やポスト印象派の影響を受けつつ、次第に独自の色彩感覚や筆致を形成していきました。しかし、ジョンが特に注目されるようになったのは、彼が社会的アウトサイダーとしての放浪生活を送り、ロマ(ジプシー)文化への深い理解を示しながら、それらを描いた作品群にあります。
ジョンがロマ文化に興味を持ち、さらにその文化に深く関与することとなったのは、1900年代初頭のことです。彼はリヴァプール大学で美術を教えていた頃、大学図書館の司書であり、ロマ文化に精通していたジョン・サンプソンからロマの言語や文化について学びました。ジョンはこの知識を活かし、ロマの人々との接触を始め、彼らのキャンプ地を訪れて、生活の一端を共にするようになります。これがジョンの放浪生活のきっかけとなり、彼は家族と共に幌馬車やテントを持って放浪しながら、ロマ文化に直接触れ、彼らの生活や精神性を理解することとなります。
「流浪の民」という作品は、ジョンの放浪生活とロマ文化の影響が色濃く反映されたものであり、また彼の人生哲学や芸術観が凝縮された作品です。このリトグラフ(1917年)は、ジョンがロマの人々との交流を通じて感じた彼らの社会的な立場や、自由な生き方に対する敬意を表しています。作品のテーマとしては、社会的な境界線を越えて自由に生きる人々の姿が描かれ、家庭や社会的規範に縛られた通常の生活から解放された幻想的な大団円が表現されています。ジョンは、このような流浪の民に対して、ただの物理的な放浪者としてではなく、社会の外側に存在しながらも一種の「自由」を享受する存在としての美を見出していたのです。
また、この作品にはジョンの家庭環境と関係する側面がありました。彼の家庭は、従来の社会規範に従わない型破りなものでした。ジョンは妻アイダと恋人ドロシー・マクニールとの間に多くの子供をもうけましたが、その家庭の形態は、当時の常識とは一線を画したものであり、放浪者としての生活に共鳴するような自由で流動的な家族形態を象徴しています。ドロシー・マクニールは、ジョンの多くの恋人の中でも特に重要な存在であり、彼の作品における「ミューズ」として生涯にわたって大きな影響を与えました。ジョンの家庭生活と放浪の理念は、彼が描いた「流浪の民」などの作品において、単なる外的な生活の姿としてではなく、精神的な自由や自己表現の重要性として表現されています。
「流浪の民」は、単なる人物の肖像画ではなく、彼らの放浪生活に込められた幻想的な要素を強く表現した作品です。ジョンはロマの人々を描くにあたって、彼らが持つ特異な生き様を幻想的な物語として視覚化しました。放浪者たちの姿は、時に神話的であり、非現実的な空間に浮かぶような印象を与えることもあります。その点において、ジョンは彼らを単なる社会的なアウトサイダーとして描くのではなく、むしろその社会的立場を超越した「美しい存在」として再定義しているのです。
リトグラフの技法においても、ジョンは彼の画風を反映したダイナミックで感覚的なアプローチをとり、黒と白のコントラストを活かした表現を行っています。これは、彼が放浪の民を描く際に感じた、彼らの生き様の中にある強さや力強さを強調するための手法であり、視覚的に見る者に強い印象を与えます。ジョンはまた、放浪の民の姿をただの描写ではなく、彼らの存在そのものが持つ物語性や美を抽象的に表現し、絵画の中に幻想的な空気を醸し出すことに成功しています。
「流浪の民」のリトグラフは、1917年にロンドンのアルパイン画廊で開かれたジョンの個展に出品されました。この個展は、ジョンの芸術家としての立場を強化する重要な瞬間でした。また、この作品は、後に日本の松方コレクションに加わり、その後、国立西洋美術館に所蔵されることとなります。松方コレクションの一部としてこの作品が収められたことは、ジョンの芸術が日本でも高く評価されていたことを示しています。
しかし、第二次世界大戦中に松方コレクションの多くの作品が焼失し、「流浪の民」もその犠牲となった可能性があります。そのため、このリトグラフは、現存するものとしては非常に貴重な存在となっています。
オーガスタス・エドウィン・ジョンの「流浪の民」は、彼の放浪生活とロマ文化への深い関心、さらには社会的アウトサイダーとしての視点を反映した作品であり、ジョン自身の人生観や芸術観を深く掘り下げる上で重要な位置を占めます。ジョンは、自由で型破りな生き方を美として描き、放浪の民というテーマを通じて、幻想的な家族像と社会の枠を超えた自由な存在としての美しさを表現しました。この作品は、彼の人生における精神的な自由や自己表現への強い追求を象徴するものであり、現代においてもその重要性は色あせていません。
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