この「錫釉陶皿」は、15世紀後半にスペイン、バレンシア(マニセス)で生産された作品です。直径が約15インチ(38.1センチ)の大きなサイズで、スペインの陶器工芸の美しい例として注目されます。
この陶皿は、錫釉とルスター(光沢)技法が用いられており、その表面は独特の輝きと色彩で飾られています。不透明な白い釉薬がクレイボディを覆い、その上に金属酸化物が使用されてさまざまな色彩と模様が描かれました。この技法は、中東から伝わったもので、中国の磁器を模倣するために開発されましたが、バレンシアの陶芸家たちは独自のスタイルと技法を加えています。
陶皿のデザインには、当時のスペインのエリートに人気のあったイスラムとゴシックの様式やモチーフが取り入れられています。典型的なヒスパノ・モレスク様式を示す装飾が施されており、形状や模様は金属製の容器を模倣したものが多いです。
この陶皿は、スペインのバレンシア地域が持つ豊かな陶器の伝統と、イスラム文化とキリスト教文化が融合した美的表現を示す優れた作品と言えます。
中東で9世紀から10世紀にかけて開発された錫釉陶器は、ルスター陶器の一種として知られており、中国で生産された磁器を模倣するために作られました。不透明な白い釉薬は、クレイボディを隠し、淡いバフ色からレンガ色までの範囲を持つことができ、白い表面に金属酸化物を描いてさまざまな色に焼成されることで、輝かしい効果を生み出すことができました。この技術や金属の光沢を使った装飾はイスラム世界中に広まり、13世紀にはバレンシアの陶芸家たちにも伝わりました。いわゆるヒスパノ・モレスクのルスター陶器は、イスラムとゴシックの様式やモチーフを融合させ、しばしば金属器の形を模したもので、15世紀のスペインのエリートによって愛され、ヨーロッパの宮廷にも輸出されました。バレンシアの産業は16世紀後半に衰退しました。その原因は、ファッショナブルな人々の間で人気を博した色鮮やかなイタリアのルネサンスのマイオリカ陶器や、その絵画的な形態のバージョンを生産するスペインの中心地が設立されたことです。この衰退に拍車をかけたのは、1609年にバレンシアから残っていたモリスコ(キリスト教に改宗したムスリム)が追放されたことでしたが、キリスト教徒の陶芸家たちが間もなく産業を再興しました。中央にある盾に描かれた牡牛の紋章は、マニセスの領主であるブイル家のものであり、マニセスはバレンシアの郊外でルスター陶器の生産の中心地でした。
画像出所:メトロポリタン美術館
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