【初代市川男女蔵像 Memorial Portrait of the Actor Ichikawa Ōmezō I】日本‐江戸時代‐歌川国貞
「初代市川男女蔵像」は、歌川国貞(Utagawa Kunisada)による絵画と、市川團十郎七代目(Ichikawa Danjūrō VII)による銘文が組み合わさった作品です。この作品は江戸時代(1615年から1868年)に制作され、絵画の制作年はおおよそ1833年で、銘文は1858年の日付が記されています。
絵画は絹に墨と色彩を使用して制作され、掛け軸の形式で表現されています。絵画部分の寸法は縦90.3センチメートル × 横32センチメートルで、装裱を含む寸法は縦177.8センチメートル × 横47.9センチメートルです。取っ手を含む場合の寸法は縦177.8センチメートル × 横54センチメートルです。
作品は市川團十郎七代目による銘文とともに、役者として有名な初代市川男女蔵像を描いています。初代市川男女蔵は江戸時代初期の歌舞伎役者であり、その舞台での演技が非常に人気を博しました。絵画は歌川国貞の手により、豊かな色使いと役者の生動感が表現されています。
掛け軸の形式は、鑑賞者が絵画をじっくりと観賞できるように工夫されており、役者の芸や個性が豊かな筆致で伝わる作品となっています。江戸時代の浮世絵と歌舞伎が結びついたこのような作品は、当時の芸術とエンターテインメントの融合を示すものとして注目されています。
この作品は、歌舞伎役者の市川大目蔵一世(Ichikawa Ōmezō I)が正装した姿勢で描かれており、柿茶けし色の正装(かみしも)を身にまとっています。大目蔵はその鋭い目つきと特徴的な鉤鼻で知られた「立役」(たちやく、主役俳優)でした。1858年、おそらく大目蔵の27回忌のため、著名な歌舞伎役者市川団十郎七代目(五代目海老蔵)によって銘文が追加されました。彼の特徴的でダイナミックな草書のカリグラフィで、彼は師と仰ぐ大目蔵を弔い、その際に「宗大」と呼んでいます。
「若い頃から真剣に俳優としての道を歩んでいた時期に、市川の家系での演技の喜びを知り、荒事のスタイルと永遠に続くべき演技法への情熱を決して失わなかった。」
「長い間、彼は心から私を支えることを自らの使命とし、市川宗大。」
この銘文は、弟子である団十郎七代目が恩師である大目蔵に捧げる追悼の言葉であり、その感謝の意と共に、大目蔵が守り続けた演技のスタイルと方法への敬意が表れています。歌舞伎の世界では師弟関係が非常に重要であり、このような銘文を通じて、芸能者同士の繋がりや感謝の情が伝わります。
画像出所:メトロポリタン美術館
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