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【紋尽名古屋曽我 Perpsective View (uki-e) of a Kabuki Theatre, with a Performance of The Crest Patterns of the Soga Brothers and Nagoya Sanza (Mon-zukushi Nagoya Soga)】日本‐江戸時代‐奥村政信
奥村政信の「紋尽名古屋曽我」は、江戸時代の1748年(延享5年)に制作された木版画(錦絵)です。作品は紙に墨と色彩を用いて制作されました。
この作品は横大判で、寸法は約12 x 7インチ(30.5 x 17.8センチ)です。政信の西洋の遠近法を取り入れた新しい画風が特徴であり、賑やかな歌舞伎劇場の広がる様子を立体的に表現しています。
舞台では曽我兄弟伝説を題材にした仇討ち劇の場面が描かれており、1748年の新年シーズンには当時著名だった市松一世と大谷鬼次一世が主役を演じています。
作品のタイトルにある「紋尽」は、曽我兄弟が敵を探す際に家紋を確認する場面を指し、その家紋や家名が一つひとつ列挙されています。また、「名古屋」という言葉は、この上演で名古屋三左の役が取り入れられていることを示しています。
この作品は、政信の画風の変化とともに歌舞伎劇の舞台や江戸時代の風俗を鮮やかに描いたものとして注目されています。
版画家政信によるこの作品は、西洋の遠近法を取り入れて広がる歌舞伎劇場の様子を捉えた画家の新しい試みを示しています。舞台上では、曽我兄弟伝説に基づいた仇討ち劇の場面が描かれています。1748年の新年シーズンには、著名な役者の佐野川市松一世(1722–1762)が左側の曽我五郎役を演じ、彼の忠実な家来の浅井役は大谷鬼次一世(1717–1757)が演じました。
タイトルの「紋尽」は、曽我兄弟伝説に関連する家紋の列挙を示しています。兄弟が富士山の狩猟地のテントに忍び込み、敵の工藤を探す場面があり、それぞれのテントの家紋と家名が一つひとつリストアップされています。「名古屋」という言葉は、この上演で名古屋三左(三三郎)の役がこの曽我劇に取り込まれていることを示しています。
「名古屋三三郎物語」は、江戸時代の人気演劇で持続的なテーマであり、京都の島原地区の遊女桂の愛を巡る名古屋三三郎と不破伴左衛門の争いを描いた物語です。これは寛文時代初期には人形劇に登場しており、その後も人気を博していました。
画像出所:メトロポリタン美術館
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