【フォンテーヌブローの森:バ=ブレオの樫林(Fontainebleau: Oak Trees at Bas-Bréau)】カミーユ・コローーメトロポリタン美術館所蔵

フォンテーヌブローの森と芸術家のまなざし
カミーユ・コロー《バ=ブレオの樫林》をめぐって

19世紀フランスの風景画は、宮廷趣味の庭園美から、画家が自然と向きあう個人的な視線へと大きく転換した時代である。そのなかで、ジャン=バティスト=カミーユ・コロー(1796–1875)は、自然を「詩的な経験」として描き出した画家として特別な位置を占めている。彼の作品に漂う夢想の気配は、空想による装飾ではなく、自然の奥行きと静けさにじっと耳を澄ませた結果として生まれたものだった。

本稿で取り上げる《フォンテーヌブローの森:バ=ブレオの樫林》は、1832年または1833年の夏に描かれた小品である。紙に油彩という制作形式からもわかるように、これは大作に向かう前段で描かれた戸外スケッチに近い。しかし、この小さな作品には、コローの風景観が凝縮され、後年の宗教画《荒野のハガル》へと受け継がれる構想の源泉が封じ込められている。森に立つ樫の巨木を描きとめただけのように見えるこの絵は、実は近代風景画の成立過程における重要な瞬間を記録していると言ってよい。

イタリア帰りの画家が見つめた「フランスの森」

この時期のコローは、ローマ滞在を経てまもない頃である。彼は1820年代半ばからのイタリア修行で、古代遺跡や都市景観を写生し、風景を画面の中でいかに構成するかという技法を身につけた。空気の透明度、光の指し方、遠景と近景の釣り合い──こうした要素が調和を生む「構成の美」を、イタリアでの経験は彼に強く刻みつけた。

帰国後、コローはこの構成的視点を携え、フランス各地の自然を改めて見直すことになる。そのなかでも彼の心をひきつけたのが、パリ近郊のフォンテーヌブローの森であった。王家の狩猟地として知られたこの森には、苔むした巨石や不規則に枝を伸ばす樫の古木など、人工的秩序を寄せつけない野性の造形が広がっていた。イタリアの光を湛えた整然とした風景とは異なり、ここで画家は濃密な陰影と静かな時間の層を体験することになる。

バ=ブレオの樫林──森が語り手になる瞬間

バ=ブレオはフォンテーヌブローの森のなかでも、とりわけ壮麗な樫の古木が群生する区域である。樹齢を重ねた幹は太くねじれ、枝葉は重たげに垂れ下がり、曙光や薄暮時には神殿の柱のような荘厳さを放つ。コローは実際にこの地に足を運び、目の前の景観を直接写生した。紙に油彩という技法は、現地での観察を迅速に留めるためのものであり、その筆致は粗野ではないが、過度に緻密でもない。木肌の質感、枝ぶりの方向性、葉の塊がつくる陰影──それらを最小限の要素で構成することで、森の「気配」が画面に現れている。

この風景には人影が見えない。しかし、存在しているのは“無人の風景”ではなく、長い時間を生き抜いた自然そのものの姿である。木々は背景の飾りではなく、画面の中心で静かに語りかける主体であり、コローは彼らの声に耳を澄ませるように描いている。自然を単なる舞台設定として扱っていた従来のアカデミズム絵画とは、ここにおいて明確な断絶が生まれていた。

《荒野のハガル》への伏流──象徴としての樫の木

この小品の樫の木は、のちの重要作《荒野のハガル》(1835年)に姿を変えて再登場する。旧約聖書に題材をとる《ハガル》は、追放された母子が荒野で天使から救済の告知を受ける場面を描いた宗教画であるが、その背後にそびえる一本の大樫は、明らかにバ=ブレオで写生された木を参照している。

フランスの森の樫がパレスチナの荒野にそびえ立つという設定は、地理的には不自然である。しかし、コローが重視したのは現実の正確さではなく、樫の木の象徴性であった。永続性、保護、沈黙のうちに宿る力──樫が備えるこれらの意味が、宗教的主題の内奥と響き合うと画家は感じ取ったのだろう。自然の観察と神話的想像力が交差するところに、コロー独自の詩的リアリズムが生まれている。

芸術家たちの聖地としてのフォンテーヌブローの森

フォンテーヌブローの森は、やがてミレー、ルソー、ディアズらバルビゾン派の画家たちが集う場となり、「自然に学ぶ」新しい風景画の中心地となった。自然を理想化するのでも、歴史的物語に従属させるのでもなく、画家自身が自然の前に立ち、その静けさを写し取るという姿勢がここで育まれたのである。

コローはこの動きの先駆的存在であり、彼の戸外スケッチと構成的な制作方法は、後の印象派にいたる道を大きく開いた。つまり、《バ=ブレオの樫林》は、フランス近代風景画の重要な起点のひとつとして位置づけられるべき作品なのである。

個人的な贈答としての作品──友情が育んだ創作の連鎖

この小品には、もうひとつ特筆すべき背景がある。コローは《バ=ブレオの樫林》を、友人である画家セレスタン・ナントゥイユに贈っている。ナントゥイユは後に《荒野のハガル》を石版画として普及させ、コローの宗教画が広く知られる契機をつくった。小さなスケッチが友人の手に渡り、そこから大作へ、さらに版画によって大衆へと広がっていく──この連鎖は、19世紀の芸術家コミュニティにおける交流の濃密さを物語っている。

終わりに──静かな転換点としての風景

《バ=ブレオの樫林》は、事件性や劇的な構図とは無縁の、ひとつの森の断片にすぎない。しかし、ここには風景画の核心が宿っている。自然は物語の背景ではなく、画家が対話する相手であり、時に画家の精神を映し返す鏡でもある。この小品は、そのささやかな形において、巨大な転換点を示している。コローが森の樫を見つめたとき、彼は自然の奥にある普遍的な「時間」を捉え、そこから新しい風景画の語彙が生まれたのである。

森の静謐が画家の心に触れた瞬間。そこから広がった余韻は、後のバルビゾン派、印象派へと続く美術史の流れの中で、確かな光を放ち続けている。

画像出所:メトロポリタン美術館

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