- Home
- 09・印象主義・象徴主義美術, 2◆西洋美術史
- 【ばら】フィンセント・ファン・ゴッホーメトロポリタン美術館所蔵
【ばら】フィンセント・ファン・ゴッホーメトロポリタン美術館所蔵
- 2025/7/2
- 09・印象主義・象徴主義美術, 2◆西洋美術史
- Vincent van Gogh, オランダ, ファン・ゴッホ, 印象派, 画家, 薔薇
- コメントを書く

フィンセント・ファン・ゴッホ《ばら》:静物に宿る癒しと希望の光
フィンセント・ファン・ゴッホは、現代でも最も愛され、評価されているポスト印象派の画家の一人である。彼の絵画はしばしば、激しい情熱や内面の葛藤、そして自然に対する深い感受性を感じさせる。なかでも、晩年に描かれた静物画のいくつかは、彼が精神的な困難を抱えながらも、美への渇望と癒しを追い求め続けた姿を静かに伝えている。
本稿で取り上げる《ばら》(1890年)は、彼がサン=レミの精神療養院を退院する直前、つまり人生最後の月に描いた静物画のひとつである。この作品は、同時期に描かれた《アイリス》(同じくメトロポリタン美術館所蔵)や、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館にある《花瓶のアイリス》、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の《ばら(横向き)》などとともに、ある種の連作、あるいは対をなすシリーズとして構想されたと考えられている。
1889年5月、ゴッホは自らの意思でフランス南部のサン=レミ=ド=プロヴァンスにあるサン=ポール・ド・モーゾール修道院の精神療養院に入所した。この施設で彼は約一年を過ごし、その間に約150点の絵画と数多くの素描を制作している。《ばら》は、彼が退院する1890年5月の直前に描かれた作品であり、ある種の「区切り」を象徴するような存在でもある。
この時期のゴッホは、精神的には依然として不安定だったものの、制作においては極めて意欲的だった。自然界の草花や木々に強く惹かれ、それらをモチーフにした作品を多く残している。とりわけ静物画は、彼にとって「外界との穏やかな接点」であり、心の内面を整理するための手段でもあったと考えられている。
《ばら》もまた、そうした安らぎへの希求から生まれた作品の一つである。明るく柔らかな色調、溢れんばかりの花々、そして慎ましやかにまとめられた構図には、ゴッホ特有の激情は影を潜めている。そこにあるのは、穏やかで、ある種の希望に満ちた空気だ。
本作は、緑の花瓶に生けられたばらの花束を描いた静物画である。構図は水平型で、キャンバスの多くを白っぽいばらの花々が埋め尽くしており、まるで花が画面から溢れ出しそうな勢いだ。背景とテーブルの色調は、黄緑色を基調とした柔らかなトーンで統一されている。この色合いは、ゴッホが療養院でしばしば見ていたであろう、南仏の春の自然を思わせる。
興味深いのは、現在の作品ではばらの色がほとんど白に見えるが、当初は花弁にもっと鮮やかなピンクが含まれていたことである。テーブルの上や花弁にうっすらと残るピンクの痕跡から、当初の色彩が推測されている。ゴッホは弟テオに宛てた手紙の中で、《ピンクのばらを緑の背景に描いた》という趣旨の記述をしており、それは本作にほぼ一致する。
つまり、《ばら》はもともと「ピンクのばらが黄緑の背景に浮かぶ」という、非常に華やかなコントラストを持っていた可能性が高い。しかし、顔料の変質や退色によって、現在のように白っぽくなってしまったのである。このような色彩の変化は、時代を経た絵画にはしばしば見られるが、本作の場合、当初の鮮やかさを想像することで、ゴッホの色彩感覚の鮮烈さがよりいっそう浮かび上がってくる。
この《ばら》は、同時期に描かれた《アイリス》とともに、対になる一対の作品と見なされることが多い。実際、メトロポリタン美術館では、この2点を並べて展示することもある。それぞれの構図や色調は異なっているが、共通するのは、花々の生命力と自然の美しさへの憧憬、そして絵画的フォルムへの鋭い関心である。
さらに興味深いのは、ゴッホがこれらの静物を単独の絵画としてではなく、「一連のシリーズ」として構想していた可能性がある点だ。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館にある《アイリス(縦型)》、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの《ばら(横型)》なども、同じテーマと構図、同じ頃に制作されており、色彩や構成にバリエーションを加えながら、彼なりの花の探求を深めていたことがわかる。
こうした作品群は、単なる植物画ではなく、色彩と構図、筆致と感情のバランスを試みた「絵画的実験」とも言える。静謐なモチーフの中に、ゴッホは自身の画家としての探究心と、心の安らぎへの希求とを同時に表現していたのである。
《ばら》にはもう一つ重要な歴史がある。それは第二次世界大戦中のナチスによる略奪と、その後の返還の物語である。
本作はもともと、ドイツの実業家であり美術収集家でもあったゲオルク・ジーモン・ヒルシュラント(1885–1942)のコレクションの一部であった。彼は1938年、ナチスの迫害から逃れるためアメリカへ亡命するが、その翌年、ナチス当局により所蔵品は接収されることになる。《ばら》もその一つだった。
戦後、ヒルシュラントの遺族はこの作品の返還を求め、1950年にアメリカで正式に返還を受けた。その後、メトロポリタン美術館に所蔵されるようになったという経緯がある。このような背景は、ゴッホの絵画が単なる美術作品ではなく、20世紀の政治的・歴史的な出来事とも深く関わってきたことを示している。
フィンセント・ファン・ゴッホの《ばら》は、一見すると穏やかで静かな作品である。しかし、その背後には彼の内面に潜むさまざまな感情が折り重なっている。苦悩の中で描かれたにもかかわらず、この作品からは不思議なほどの希望ややすらぎが感じられる。それは、ばらというモチーフがもつ生命の象徴性、そして色彩や構図を通じてゴッホが到達した表現の純度の高さによるものだろう。
また、本作の来歴は、絵画が時に歴史の渦に巻き込まれる存在であることも教えてくれる。芸術は個人の表現であると同時に、時代の記憶でもある。ゴッホの《ばら》は、その両義性を体現するような作品であり、今なお私たちに語りかけてくる力を持っている。
療養院での孤独な生活の終わりに、彼はばらの花に希望を託した。そこには、苦しみの果てに見出した小さな光、あるいは未来への静かな祈りが込められていたのかもしれない。ゴッホの人生は短く、苦難に満ちたものだったが、その芸術は今なお、人々の心に優しく咲き続けている。
画像出所:メトロポリタン美術館
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。