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- 洞庭春色賦·中山松醪賦-北宋-蘇軾書(後世題跋含めない)【山高水長-唐宋八大家主題文物展】遼寧省博物館-撮影:ZhangYan
洞庭春色賦·中山松醪賦-北宋-蘇軾書(後世題跋含めない)【山高水長-唐宋八大家主題文物展】遼寧省博物館-撮影:ZhangYan
蘇軾(そ しょく、拼音: Sū Shì、景祐3年12月19日(1037年1月8日) – 建中靖国元年7月28日(1101年8月24日))は、中国北宋の政治家としてもかなりの活躍をしたが、宋代きっての文豪としてもあらゆるジャンルで輝かしい業績をあげた。また、ほかの芸術の分野においても書家、画家として優れ、音楽にも通じていた。
東坡居士と号したので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる。字は子瞻(しせん)。また、坡公・坡仙などと呼ばれ敬慕されていた。諡は文忠公。蘇洵の長男で、弟は蘇轍であり、この3人に韓愈・柳宗元・欧陽脩・曽鞏・王安石を加えた8人を「古文」の唐宋八大家という。子に蘇邁・蘇迨・蘇過・蘇遯ら。曾孫は蘇公弼(威州刺史)、玄孫娘に耶律楚材の夫人(蘇公弼の娘で、耶律鋳の生母)がいる。
眉州眉山県(現在の四川省眉山市東坡区)の出身。8歳で道士張士簡の塾に入り勉学に励み、13歳で弟の蘇轍と共に劉巨という人の門徒となり作詩を学んだ。また20歳までの間に経史に博通しており、賈誼や陸贄の書を好んでは、『荘子』を読んで痛く感銘を受けたとされている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
洞庭春色賦
吾聞橘中之樂,不減商山。豈霜餘之不食,而四老人者遊戲於其間。悟此世之泡幻,藏千裏於壹班,舉棗 葉之有餘,納芥子其何艱,宜賢王之達觀,寄逸想於人寰。嫋嫋兮春風,泛天宇兮清閑。吹洞庭之白浪,漲北渚之蒼灣。 攜佳人而往遊,勤霧鬢與風鬟,命黃頭之千奴,卷震澤而與俱還,糅以二米之禾,藉以三脊之菅。忽雲蒸而冰解,旋珠零 而涕潸。翠勺銀罌,紫絡青倫,隨屬車之鴟夷,款木門之銅镮。分帝觴之餘瀝,幸公子之破慳。我洗盞而起嘗,散腰足之 痹頑。盡三江於壹吸,吞魚龍之神奸,醉夢紛紜,始如髦蠻,鼓包山之桂揖,扣林屋之瓊關。臥松風之瑟縮,揭春溜之淙 潺,追範蠡於渺茫,吊夫差之惸鰥,屬此觴於西子,洗亡國之愁顏。驚羅襪之塵飛,失舞袖之弓彎。覺而賦之,以授公子 曰:烏乎噫嘻:吾言誇矣:公子其為我刪之。
中山松醪賦
始予宵濟於衡漳,軍涉而夜號。燧松明以記淺,散星宿於亭臯。郁風中之香霧,若訴予以不遭。豈千歲之 妙質,而死斤斧於鴻毛。效區區之寸明,曾何異於束蒿?爛文章之糾纏,驚節解而流膏,嘻構廈其已遠,尚藥石之可曹。 收薄用於桑榆,制中山之松醪。救爾灰燼之中,免爾螢爝之勞。取通明於盤錯,出肪澤於烹熬。與黍麥而皆熟,沸春聲之 嘈嘈。味甘餘之小苦,嘆幽姿之獨高。知甘酸之易壞,笑涼州之蒲萄。似玉池之生肥,非內府之蒸羔。酌以癭藤之紋樽, 薦以古蟹之霜螯。曾日飲之幾何?覺天刑之可逃。投拄杖而起行,罷兒童之抑搔。望西山之咫尺,欲褰裳以遊邀。跨超峰 之奔鹿,接掛壁之飛猱。遂從此而入海,渺翻天之雲濤。使夫嵇阮之倫,與八仙之群豪。或騎麟而翳鳳,爭榼挈而瓢操。 顛倒白綸布,淋漓宮錦袍。追東坡而不及,歸鋪啜其醨糟。漱松風於齒牙,猶足以賦遠遊而續離騷也。
始安定郡王以黃柑釀酒,名之曰“洞庭春色”。其猶子德麟得之以餉予,戲為作賦。後予為中山守,以松節釀酒,復 以賦之。以其事同而文類,故錄為壹卷。紹聖元年閏四月廿壹日,將適嶺表,遇大雨,留襄邑書此。
東坡居士記
展示名称:山高水長——唐宋八大家主題文物展
会期:2020年12月~2021年3月2日
会場:遼寧省博物館
住所:遼寧省沈陽市渾南区中心広場東北側(渾南区智慧三街157号)
出展内容:書畫、碑帖拓片、古籍など計:115点。
重要文化財:【宋人仿顧愷之洛神賦図卷】【北宋徽宗趙佶瑞鶴図卷】【東晉佚名曹娥誄辭卷】【明仇英赤壁図卷】【北宋蘇軾行書洞庭中山二賦卷】【北宋蘇軾行書陽羨帖卷】【北宋欧陽修行書譜図序稿並詩卷】
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