特別展:『発見・中山国』
期 間:2019.07.25—2019.10.28
会 場:成都金沙遺跡博物館陳列館地下一階B1
入場券:70元/人、常設展、特別展の一票は通ります
開館時間:夏-5月1日~10月31日: 8:00~20:00(19:00入場券販売完了)
休 日:月曜日は休館します。
アクセス:地下鉄7番線「金沙博物館」駅からすぐ。
今年の夏休みに金沙へ「戦国八雄」を見つけましょう
発見・中山国」展は7月25日に開催します。
春秋五覇、戦国七雄は、東周の合従連衡、諸侯の覇権争いの時期を代表して、人々が最も熟知している歴史用語の一つです。
「戦国策」はかつて戦車の数で異なる規模の諸侯国を代表していました。「万乗の国七、千乗の国五」中山国は戦国七雄に次ぐ千乗の国です。その国は北の遊牧民族の白狄族鮮虞部によって設立され、各派の勢力が最高の支配的地位を奪い合う戦国時代に入り、両興三滅を経て、国力の最盛期には燕趙斉などの強国の間でバランスを取りながら、戦国の第八雄とも言われています。
歴史の記録がばらばらなため、中山国はかつて人々に知られておらず、神秘の王国と称されます。今の河北平山県にある中山王陵、霊寿古城の発見と発掘に従って、考古学者の手で、ついにこの国を泥土の中から掘り出しました。
7月25日、「戦国第八雄」は成都の金沙遺跡博物館で神秘のベールを開く。同館新展「発見・中山国」は、戦国中山国遺跡から出土した132組の227件の逸品文物を選んで、考古学的発見から出土文物と関連文献を結び付け、起源、戦争、都、交流の四つの方面から中山国が立国から強大になって、そして繁栄に至るまでの過程を説明します。
聞くところによると、今回の展示も金沙遺跡博物館が「覇:千年の古国を見失いました」、「九連墩の物語——湖北九連墩楚墓逸品文物特別展」、「考古成都――新世紀成都地区考古成果展」に続いて、夏休み考古学科学知識普及展が開かれています。どのように墓から出土した文物でその主人の身分を推測して、どのように一城の廃墟の中で王都の痕跡を見つける方法..展覧会は観衆を導いて探索の中で解答を発見します。
中山三器 超美篆体で戦国紛争を記録
中山国ができてから、一度は晋の国に統治されました。戦国時代には趙、燕などの大国と隣接していて、強敵に囲まれ、三回にわたって国を滅ぼし、二回を立て直した。そのため戦争は非常に頻繁に行われました。
第五世代中山国の国王(cuò)在位期間(約紀元前327年~前313年)において、中山国はついに最盛期に達した。彼の墓の中から長い銘文を彫った青銅器が三つ出土しました。それは中山王鉄足銅鼎、中山王銅方壺と銅円壺です。その上で中山国の家系、戦争などの重要な史実を記録しており、戦国の中山国を研究するための極めて貴重な参考資料を提供した。その三つの青銅器は「中山三器」”と誉められます。
今回の展覧会で展示される銅円壺は、出土時に壺の中に清水を満たしており、壺腹には中山国の国王が父王のために書いた弔辞が刻まれており、在位時の最大の戦況を記録した。“子之之乱”を機に、燕を征伐した。その時燕王は反対を押し切って、王位を重臣の子に譲って、燕国の内乱を誘発して、隣の斉国は迅速に挙兵して燕を討伐します。中山国も国を挙げて、正君臣の名を冠して、そして燕の国籍の多数を併合する機会を得ました。この「正義」の大勝した戦争は、確かに永遠に覚えておく価値があります。そこで、得体の知れない戦国紛争は、優雅な中山篆に青銅重器に記録され、王墓の中に大事に保存されました
中山三器の銘文は内容が貴重で、または、その字体自体も非常に高い芸術レベルを有しており、新たな模写の手本となっている。小篆は書体のスタイルと金文、小篆または同時期の他の諸侯国の字体と区別する独特な風格を持っています。筆画の回転が滑らかで、書体がすらっと長くて美しいです。しかも短い横線、渦紋を使って装飾としています。発見以来、書道家、篆刻家から多くの支持を受けています。
双翼神獣は春秋戦国時代の「高精鋭」技術を使っています。
戦国時代、中山国の手工芸産業は発達していて、特別な生産管理システムがあり、銅、玉、陶、金、銀、骨、石などの大量の精巧な芸術品が生産されました。造型、工芸においても、戦国時代の工芸技術の最高レベルを代表しています。
中山国の青銅の重器は、官営手工業工房を通じて作られました。重要な器物には常に銘文があり、その製造年代、監督官吏と職人の名前を記録しています。
『発見・中山国』展でまもなく展示される錯銀銅双翼神獣は、春秋戦国時代の青銅器の「高精鋭」という錯金銀工芸装飾技術を使って作られた。この工法ははめ込むと塗絵の二つの方法が含まれています。職人はまず図案、模様によって器物の表面に溝を作ってから金銀を埋め込みます。この神獣は頭を上げてたけり吠え、翼はまっすぐに空を指しています。力強く、体の巻き雲の紋様は千変万化しています。背中には雲の中に縮こまっている鳥の紋様があります。精巧な錯銀の紋様と古風な青銅と相まって神秘的な雰囲気を漂わせ推測によると、それは鎮席の器か調度品であると思います。
現在、河北博物館門入り口に2つの拡大版の双翼神獣が立っています。威武の「鎮館神獣」はすでに河北博物館のシンボル的な景観になっています。
酒を飲んで将棋をして、その中山国の快適な生活の目撃者になる。
遊牧民族出身の中山国人々は戦いが好きで、酒を飲み、ゲームをするのも好きです、酒を醸造することでも有名です。
「捜神記」には中山国人が「千日酒」を醸造し、酒を飲む人を三年間酔わせた話が記載されています。「醇焼酎中山、千日を追憶する」という美称が見られます。中山王墓から出土した2つの銅瓶は、伝説の中の中山酒を現代に残しました。銅園壺と銅扁壺の中からそれぞれ浅い翡翠色と緑色の実物酒が出土しました。食糧や乳汁から醸造されたか、これも中国で最初に見られた本物のお酒です。
銅壺の中に二千年以上前の酒の味が漂っています。もう一つの文化財は戦国時代の一番人気のある棋類のゲーム――六博です。戦国時代の具体的なゲームのルールはすでに失われましたが、史料によると、プレイヤーは白と黒2つに分かれて、一人6個ずつ駒を持つ、一個は王、卒は五つ。将棋をする時、双方はまずサイコロを投げ、それから採集の結果によって棋を行って、先に王を殺す者を勝ちとして、今日の飛行将棋、将棋の規則とある程度似ているところがあります。
中山国で出土した六博棋盤は、現在発見された年代一番古い石質六博棋盤で、青い石板で作られています。盤面は浮き彫りの手法で、図案は饕餮、虎、蟠虺紋などの模様が構成されています。図案の上下、左右対称、複雑で鮮明である。この二つの棋盤は彫刻芸術と実用的な機能を完璧に結合しています。中山国の熟練した職人技の芸術傑作です。
展示の解読に従って、ばらばらな史料の記録から中山国は徐々にその栄枯盛衰の姿を明らかにした:それは遊牧民から創立して、戦争で戦って、暇な時は酒を飲んで将棋を打って、中原地区に入った後に中原の礼制を学んで、産業を活性化しました。展覧会は10月27日まで続きます。この夏休みに金砂遺跡博物館に行って、中山国を再発見しましょう
文章: 胡程-成都金沙遺跡博物館 翻訳:jin11
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