四川盆地(しせんぼんち、簡体字: 四川盆地、拼音: Sìchuān Péndì)は、中華人民共和国の西南部にある盆地。長江の上流域にあり、四方を高い山脈や高原に囲まれた大きな盆地で、面積はおよそ16万平方km、タリム盆地・ジュンガル盆地・ツァイダム盆地と並ぶ中国4大盆地の一つ。四川省の東部と中部、および重慶市の市域に当たる。
四川の名の由来には諸説ある。盆地内を流れる長江の四つの支流(岷江、沱江、嘉陵江、烏江。烏江の代わりに長江を入れるものや大渡河を入れるものなどもある)に由来するという説、また宋代にこの地方に置かれた行政区画・川峡路が後に益州路・利州路・梓州路・夔州路の四つに分割され、川峡四路と総称されたことが四川の名の始まりという説もある。その他、赤色・赤紫色の土壌から、「紅色盆地」・「赤色盆地」とも呼ばれる。
四川盆地はチベット高原の東に位置するおおよそ長方形の平野で北東から南西方向に伸び、褶曲作用でできた高い山脈が連続して周りを囲む。東から北にかけては険しい褶曲山脈の巫山山脈、大巴山脈、米倉山脈(標高は最高で2,600m)などが続く。南は大婁山、大涼山や雲貴高原がある(標高は最高で2,000m)。西には龍門山脈が北東から南西に向け盆地の縁を走り、その西には横断山脈(大雪山脈、邛崍山脈)、岷山山脈など、5,000mを超え最高で7,590mに達する高山がチベット高原方面まで続く(四川盆地の西の山岳地帯はすでに広義のチベットの一部である。カムを参照)。これらの山脈により四川盆地は完全に閉ざされている。
北西の山岳地帯に発し盆地を北から南へ流れる岷江、沱江、涪江、嘉陵江などの河川は、盆地の南を流れる長江に合流し、巫山などの褶曲山脈を貫く巫峡(瞿塘峡、西陵峡とともに三峡を構成する)を抜けて東へ流れる。盆地の水系の出口は、この巫峡しかない。
盆地内は平野と低い丘陵からなり、標高はおよそ400mから800m。特に丘陵のうちいくつかは平野の中に細長く連続的に伸びている。盆地東側の重慶北部付近では丘陵の列が何本も東西に伸び、盆地中央西寄りの成都の南には北東から南西に向かって龍泉山脈が走り、四川盆地を東西に区切っている。
盆地内の区分
成都周辺の農村。背後では工場が煙を吐く。近年は工場の活動にともなう公害も広がっている
四川盆地は西の「盆西平原」(川西平原)、中部の「盆中丘陵」(川中丘陵)、東部の「川東平行嶺谷」の三つに分かれる。
龍門山脈山麓の盆地西縁から盆地中央西寄りの龍泉山脈までは盆西平原であり、中心都市の成都市の名をとり成都平原と呼ばれる。岷江や沱江など北西の山脈群からの河川が扇状地や沖積平野を形成しており、高低差は50mを超えず平坦で、土壌は肥沃である。
盆地西部を縦断する龍泉山脈から盆地東部を縦断する華鎣(かえい)山脈までの幅広い範囲は盆中丘陵であり、北から南にかけて低くなる地形の中に50mから150mの高低差の丘陵や台地が広がる。沱江や涪江などはこの丘陵地帯を貫いて流れ、長年の水による浸食で細かい谷が無数にできている。この周辺も土壌は豊かで丘の斜面にまで農地が広がる。
華鎣山脈より盆地の東南端までは川東平行嶺谷であり、重慶市の北に、北東方向から南西方向へ数十本の褶曲山脈が並行して走り、その谷間には平地が並行して走るためこう呼ばれる。山脈はそれぞれ幅が狭く石灰岩の山頂が削られ大きな窪地を形成しており、標高は700mから1,000mの間で、盆地内で最も高い華鎣山で1,704mに達する。それぞれの山脈の間の谷は標高300mから500mで渠江など嘉陵江水系の川が南西に走り、農地が広がるほか水力発電や付近に埋蔵される天然ガスや鉱物などの資源をもとにした鉱工業が盛んである。
四川盆地は米などの穀物が栽培される大穀倉地帯であり、特に盆地の西部にあたる成都平原は土壌が肥沃で水量も豊かと米作りに適している。蜀相諸葛亮は「沃野千里、天府之土」と評した。現在も四川は「天府之国」と称賛される。農業のほか、地下資源が豊富なことから鉱工業も盛んで、特に天然ガスの中国における主要生産地になっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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