【不動明王像 Fudō Myōō (Achala-vidyārāja)】平安時代

【不動明王像 Fudō Myōō (Achala-vidyārāja)】平安時代

この不動明王像は、平安時代に制作されたもので、木材に漆、金箔、色が施された彫刻です。この像は「寄木造り」と呼ばれる技法で作られており、複数の木材を組み合わせて一つの像を構築しています。不動明王は、明るい光の王とも呼ばれる仏教の守護神で、密教において大日如来(仏教の最高的存在)の直接の化身とされています。

不動明王は激しい表情と怖ろしい姿勢で表現されており、右手には剣を、左手には手綱(悪しき者を導くための道具)を持っています。彼は無知や迷いを断ち切り、迷いの道から人々を救済する存在とされています。また、彼の名前である「不動」は「不動の心」や「変わらぬ心」を意味し、その堅固な信仰が象徴されています。

この像は金箔や色彩を用いて豪華に装飾されており、その細部まで丁寧に表現されています。このような不動明王像は、当時の宗教的な儀式や信仰活動において重要な役割を果たしていたと考えられています。

不動明王(ふどうみょうおう)は、明王の一種である不動明王の中でも最も広く表現された存在です。彼は仏法の守護神であり、密教の主要な仏である大日如来の直接的な化身です。日本で最初に作られた不動明王の彫像は座った姿勢でしたが、このような立像の彫刻は11世紀から始まりました。不動明王は、剣を使って無知を断ち、奉仕する者たちを取り込むための手綱を使います。肩と背中の重さがしっかりと硬直した脚に支えられており、彼の名前「不動」にふさわしいものです。

この彫像はもともと、京都から北西に20マイル離れた船坂にある久本寺御馬堂(くほんじごまどう)の中央の神像でした。彼は厚みのある木の板をくりぬいて作られ、その存在はこの寺の信仰の中心であったことを示しています。

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画像出所:メトロポリタン美術館

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