【銀製舟形杯】イラン出土|ササン朝時代・5〜7世紀|銀製-常設展-東京国立博物館-東洋館

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酒を飲むための器です。内部にユーモラスな形の魚、縁に沿って4種の花文帯が刻まれています。表面に施されていた鍍金もかすかに残っています。ササン朝ペルシアの銀器は、シルクロードを経て中国や日本にももたされました。

ササン朝は、紀元3世紀から7世紀初頭にかけて、イランを中心に栄えたペルシャ系の王朝です。ササン朝は古代ペルシャ帝国の後継者として、独自の文化と芸術を発展させました。

「銀製舟形杯」は、このササン朝時代に作られた銀製の杯(カップ)の一種です。名前の通り、舟の形状をしていることが特徴で、舟を模した持ち手を持っています。舟形の杯は古代ペルシャの象徴的なアートワークの一つであり、船や舟はしばしば富と栄華を象徴する意匠として用いられていました。

これらの銀製舟形杯は、高度な銀細工の技術と芸術的なデザインが特徴です。ササン朝の職人たちは、精緻で細かい彫刻や装飾を施して、舟形杯を美しく飾り立てました。また、一部の舟形杯は金メッキや鍍金を施して豪華な装飾が行われたこともあります。

これらの舟形杯は、主に贈り物や贅沢品として使用されていたと考えられています。高品質な銀製品は、当時のササン朝の富裕層や王族の間で高く評価されており、贈り物や奉納の対象として重要な役割を果たしました。

ササン朝時代の銀製舟形杯は、当時のペルシャの芸術と文化に関する重要な遺物として研究されています。これらの杯は、美術史の研究において、ササン朝の芸術や工芸の発展と社会的背景に関する洞察を提供しています。

【銀製舟形杯】イラン出土|ササン朝時代・5〜7世紀|銀製-常設展-東京国立博物館-東洋館
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【銀製舟形杯】イラン出土|ササン朝時代・5〜7世紀|銀製-常設展-東京国立博物館-東洋館

ササン朝(サーサーン朝)は、古代ペルシャの王朝で、紀元3世紀から7世紀初頭にかけてイランを中心に栄えた強力な帝国でした。この王朝はアルダシール1世(アルダシール・バーブガン)によって創設され、紀元224年に始まり、紀元651年にイスラム帝国によって滅ぼされるまで続きました。

ササン朝の成立は、古代ペルシャのアケメネス朝の崩壊とパルティア王国の衰退によって可能になりました。アルダシール1世は、パルティアの支配者に対して反乱を起こし、彼らを打ち破ってペルシャの統一を達成しました。そして、ササン朝を建国してイランの支配者となりました。

ササン朝は、ゾロアスター教を国教とし、ゾロアスター教の宗教的信念と価値観が国家政策に大きな影響を与えました。ゾロアスター教の神々や聖火を重んじるなど、王朝の宗教的背景はササン朝の文化と社会に深く根付いていました。

ササン朝の統治者はシャーハンシャー(王の中の王)の称号を持ち、広大な領土を支配し、近隣諸国との間で激しい戦争と交易を行いました。ササン朝は特にローマ帝国との対立が知られており、両者の間で数多くの戦争が繰り広げられました。

また、ササン朝は美術、建築、文学、科学などの芸術と文化の発展にも寄与しました。ササン朝時代には、美しい彫刻、壮麗な宮殿、精巧な装飾品などの芸術作品が制作されました。

しかし、ササン朝は紀元7世紀初頭にイスラム帝国の拡大によって滅亡しました。イスラム帝国の指導者オマル・イブン・アッ=ハッターブがササン朝の首都クテシフォンを陥落させ、ササン朝の最後の君主ヤズデギルド3世が亡命することで、紀元651年にササン朝は終焉を迎えました。

ササン朝は、イランの歴史において重要な時代であり、古代ペルシャ文明の最後の栄光を体現しています。その芸術、文化、宗教、そして対外的な交流は、後代のイランの文化と歴史にも影響を与えました。

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