【胴丸胸当て Cuirass of a Dō-maru】室町時代

【胴丸胸当て Cuirass of a Dō-maru】室町時代

室町時代、胴丸胸当て(Dō-maruの胸当て)は、16世紀の日本の歴史において、政治的な混乱、戦国時代、そしてほぼ絶え間ない軍事紛争によって揺れ動いた時期の重要な甲冑の一部でした。以前の時代では、高位の侍は主に馬上で戦い、そのために重い箱型のŌ-yoroi(大鎧)と呼ばれる甲冑を着用していました。しかし、混乱した16世紀には、戦国大名でさえ歩兵戦に備える必要があり、その結果、より軽量で身体に密着するDō-maruのような甲冑が好まれました。これらの甲冑はŌ-yoroiに比べてはるかに自由な動きを可能にしました。

その中で、伊達政宗(1567-1636)という戦国大名は、鎧に特別な興味を持っていました。そのため、彼はしばしば彼の家来に、当時一般的であった刀ではなく鎧を贈りました。 1594年、当時日本で最も権力を持っていた豊臣秀吉に忠誠を誓っていた伊達政宗は、地元の鉱山労働者に対する税金を三倍に増やすことを決定しました。その結果、反乱が勃発しましたが、政宗の家来である白石豊後によって鎮圧され、また、地元の陰謀団体が主張したように政宗が反乱を引き起こしたわけではないと秀吉に説得されました。その功績に対して、伊達政宗は白石にこのDō-maruの胸当てを贈りました。その後、この胸当ては白石家に受け継がれ、1905年にバシュフォード・ディーンが当時の家族の当主である白石時利から直接購入しました。

このDō-maruの胸当ては、室町時代の後半(1392-1573)の高位の武士が着用した密着型の甲冑の優れた例です。この甲冑は素晴らしい状態であり、控えめな地味な色合いで装飾されており、当時の控えめな嗜好を反映しています。これは、その後の桃山時代(1573-1615)に現れた派手なスタイルとは対照的です。

【胴丸胸当て Cuirass of a Dō-maru】室町時代
【胴丸胸当て Cuirass of a Dō-maru】室町時代
【胴丸胸当て Cuirass of a Dō-maru】室町時代
【胴丸胸当て Cuirass of a Dō-maru】室町時代
【胴丸胸当て Cuirass of a Dō-maru】室町時代
【胴丸胸当て Cuirass of a Dō-maru】室町時代

画像出所:メトロポリタン美術館

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

プレスリリース

登録されているプレスリリースはございません。

カテゴリー

ページ上部へ戻る