
成都市の心臓部にある広場。秦漢の時代から成都は既に大都市として賑わっていたが、紀元前347年(戦国時代)、蜀王がこの広場の付近に拠点(北少城)を設けたのが始まりで、以後、文化大革命で取り壊されるまでの間、ずっと皇城が存在し続けたという。地下は商店街、駐車場、地下鉄駅として活用されている。四川科技館の前に立つ高さ30メートルの毛沢東像と、その目の前に一直線に延びる広い道路(人民南路三段)が印象的。他には特段、広場自体に見るべきものはない。
地下鉄1号線(南北方向)、地下鉄2号線(東西方向)天府広場で交差する。






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