【修道士姿の画家の叔父アントワーヌ・オーベールAntoine Dominique Sauveur Aubert, the Artist’s Uncle, as a Monk】ポール・セザンヌ‐メトロポリタン美術館所蔵

【修道士姿の画家の叔父アントワーヌ・オーベールAntoine Dominique Sauveur Aubert, the Artist's Uncle, as a Monk】ポール・セザンヌ‐メトロポリタン美術館所蔵

《修道士姿の画家の叔父アントワーヌ・オーベール》――若きセザンヌの実験と情熱

美術館でふと足を止めて見入ってしまう絵というものがある。ポール・セザンヌによる《修道士姿の画家の叔父アントワーヌ・オーベール》も、そのような作品のひとつだ。画面には、黒と白の修道服をまとった壮年の男性が静かに座っている。その顔は厳しく、だがどこか滑稽でもある。宗教的な威厳と親しみやすさが奇妙に同居するその肖像は、観る者に深い印象を残す。

この絵は、セザンヌが1866年、27歳のときに描いたものだ。当時、彼はまだ画壇に受け入れられず、パリと故郷エクス=アン=プロヴァンスを往復しながら、独自の絵画を模索していた時期である。この作品は、セザンヌの母方の叔父であるアントワーヌ=ドミニク・ソーヴェール・オーベールをモデルとした一連の肖像画の一つで、他にも異なる衣装で描かれた複数のバリエーションが存在する。

この肖像のモデルであるアントワーヌ・オーベールは、セザンヌの母方の叔父である。生年は1817年で、絵が描かれた1866年には49歳。法律職についていた人物で、セザンヌの家族にとっては信頼できる親族であった。

彼は若き甥ポールの芸術活動に対して理解を示し、なんと9回もの肖像制作に協力している。その中には、今回のような修道士姿や、房飾りのついた帽子とローブを着た姿など、いくつかの「仮装肖像画」が含まれている。これは明らかにセザンヌ自身の発案によるもので、モデルとなった叔父は、その遊び心を快く受け入れたようだ。

この作品の最大の特徴は、オーベールが「ドミニコ会の修道士」の衣装を身につけている点だ。ドミニコ会は中世から続くカトリック修道会で、黒いマントの下に白いチュニックを着る特徴的な服装をしている。絵のタイトルにもある通り、オーベールはまさにこの伝統的な服装をまとっている。

なぜ彼は修道士の姿で描かれたのだろうか? これは実際に宗教的意味を持った肖像画ではなく、セザンヌがモデルを仮装させたものである。つまり、写実的なポートレートでありながら、どこか演劇的でもある、ある種の「肖像による遊戯」なのだ。

この試みには複数の意味が込められていると考えられる。ひとつは、画家が歴史画や宗教画に対する関心を持っていたこと。19世紀のアカデミック絵画では、宗教的な主題が高尚とされていた。若きセザンヌもまた、パリのサロン(官展)で認められることを目指しており、宗教的な衣装をまとった肖像を試みたのかもしれない。

もうひとつは、純粋に造形的な興味である。黒と白の対比、布の質感、ローブの量感などは、光と影を用いた画面構成の練習に最適であり、また人物に重厚な存在感を与える。

この作品を含むセザンヌの1860年代の絵画では、独特の「厚塗り」の技法が見られる。特に本作では、筆ではなくパレットナイフで塗られた箇所が多く、絵具が画面上に盛り上がっている。これは、当時の彼が敬愛していた画家ギュスターヴ・クールベ(1819–1877)の影響によるものである。

クールベは写実主義(レアリスム)の旗手として知られ、社会的な主題を粗削りで力強い筆致で描いた画家だ。セザンヌもその力強さに惹かれ、自身の筆致を荒々しく、重量感のあるものへと変えていった。特に顔や衣装の部分では、絵具の厚みが人物の物理的な重みや存在感を強調している。

画面全体は重く、暗い色調でまとめられているが、そこに浮かび上がる顔と目の輝きは、観る者に強い印象を与える。これは後年のセザンヌの静謐で明快な筆致とは異なる、若き日の「情熱と実験」が色濃く残るスタイルである。

セザンヌにとって、肖像画は人物の「似姿」を写し取るだけではなかった。彼はその人間の構造、精神、存在感までも画面に再構築しようとした。のちのセザンヌは、静物や風景と同じく、人物をも「円筒、球、円錐」によって捉えると語っているが、その萌芽はすでにこの作品にも見られる。

オーベールの顔つきは写実的というより、むしろ「彫刻的」に構築されている。陰影を大胆に使いながら、輪郭をくっきりと強調し、顔の各部位が厚い絵具で作られているような印象を与える。これは単にモデルに似せるための描写ではなく、「顔という構造体」の存在感を強調するための技法である。

また、画面構成も興味深い。背景はほぼ単色で処理され、余計な情報を排除することで、モデルの姿が前面に押し出されている。このミニマルな背景は、肖像を劇的に浮かび上がらせ、宗教画のような静謐な雰囲気を醸し出している。

アントワーヌ・オーベールのように、身近な家族を繰り返しモデルにすることは、セザンヌの画業の特徴の一つである。父親、母親、妹、そして生涯の伴侶であったオルタンス・フィケなど、多くの家族が彼の作品に登場する。

そこには、画家としての探究心と、個人的な親密さが複雑に絡み合っている。家族という近しい存在だからこそ、長時間のポーズを頼むことができ、また心理的な距離も計りやすい。セザンヌにとって、家族は芸術的な実験の「対象」であると同時に、創作の「支え」でもあった。

オーベールが快く仮装し、何度もポーズをとったという事実は、甥に対する深い愛情と信頼の表れである。そしてそのことが、画面ににじみ出る親しみやすさや、静かなユーモアにつながっているのだろう。

《修道士姿の画家の叔父アントワーヌ・オーベール》は、芸術的完成度という意味では、後年のセザンヌ作品と比べて粗削りである。だが、この作品には若き画家の情熱、家族との信頼関係、そして芸術への飽くなき挑戦が凝縮されている。

この絵を見ると、セザンヌがいかにして「近代絵画の父」となる道を歩み始めたかがよくわかる。厚塗りの絵具、大胆な仮装、重厚な構図――すべてが「まだ完成されていない」ことを恐れず、自らの感性を実験する場としての絵画を示している。

セザンヌが後に到達する「視覚の構築」の芸術は、こうした初期の作品なしには語れない。《修道士姿の画家の叔父アントワーヌ・オーベール》は、ただの風変わりな肖像画ではなく、セザンヌの内なる衝動と、芸術的出発点を物語る重要な作品である。

仮装という遊びを通じて、画家は「人物の本質」に近づこうとし、厚塗りの絵具によって「形の重量」を感じ取ろうとした。その試みは、後年の静謐で洗練された構成美とは異なるが、むしろ人間的で親しみやすい。

この一枚を通して私たちは、セザンヌがどのようにして「見ること」「描くこと」を学び、やがて絵画の地平を切り開いていくのか、その過程の一端に触れることができるのだ。

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